大切なもの

katakoi20082009-11-25



先週の水曜日18日は、久しぶりに青空の広がるいい天気だった。この日は研修日で授業がなかったため、休みをもらい、東京・駒場で行われていた「生誕120年記念特別展 柳宗悦の世界」に出かけてみた。


実は2〜3日前から少し風邪気味でしんどかったので、行こうか行くまいか迷ったのだけれど、先に見学した知人が「すごいよかった。休暇をとってでも行く価値がある!」とメールしてくれていたので、ちょっと無理をして足を運んだのである。


会場の日本民藝館に着いてみると、平日にも関わらず、ものすごい人で賑わっていた。
私はまず入り口付近に展示されていた李朝白磁の香炉にひきつけられた。それはいかにも清楚な美しさをたたえていた。柳が「無地の美」と呼ぶのは、きっとこのことだろう。彼はそこに「無限の『有』を包含する『無』」を見出し、指摘している。
いやいや正直に告白すると、その前に私は玄関の前庭に置かれた“お地蔵さん”で完全に打ちのめされていた。ガーンと頭を殴られたように、すでに「柳宗悦の世界」にぐっと引きずり込まれていたのである。(冒頭の写真がその“お地蔵さん”。)


館内に入ってみると、白磁だけでなく、展示品はどれも素晴らしかった。
なかでも特に「日本の手仕事」の部屋がよかった。錠前や手箒など、昔の日本人が作り、使用してきた小さな日用品には、安定した美しさが宿っていて、姿勢をピッと正さなければと思わせる潔さみたいなものを感じさせられた。


日本民藝館を開いた柳宗悦は、1889年東京に生まれた。学習院に学び、『白樺』に関わって千葉県我孫子に住んでいるとき、知人の浅川伯教・巧兄弟を通じ、朝鮮民芸品の美しさを発見した。
その後、彼は河井寛次郎濱田庄司らと交流を深め、「民藝」という言葉をつくった。会場のショップに売られていた『民藝の趣旨』によると、「民藝」とは「民主的工芸」という意味である。柳は無名の職人達が作った「実用品」、「普通品」に商業主義にとらわれない民衆の健全な精神を見出し、それを「健康の美」、「無事の美」とも呼んだ。


ここまでの説明でも幾分かは明らかなように、柳はもともと宗教哲学者であった。師はかの鈴木大拙である。だから彼にとっては、美しい器が生まれる事実と宗教的真理は決して別事ではなかった。
会場に掲げられていた解説によると、柳は「大無量寿経」第四願から啓示を得て、一気に「美の法門」を書き上げたという。彼の資質を伺わせるエピソードだ。


その後、柳は直感的に見出した「民藝」の美を求め、東北や北海道、沖縄など日本全国を歩き回り、アジア各国にも調査旅行に出かけた。その信念は一途で、戦前から戦中、戦後にかけてアイヌ朝鮮人に向けられた差別的眼差しを彼はいっさい寄せ付けなかった。そういう意味で、柳は終生、誠実な「美の求道者」であったと言える。
会場には、柳の書があちこちに飾られていたが、その字は彼のキャラクターをよく表しているように思った。岩波文庫の『民藝四十年』には、「無有好醜」という彼の書の写真が載っているので、ぜひどこかの本屋で立ち読みしてほしい。柳の書は、私の好きな字体である。いつか私もこんな字がかけるようになりたいものだ。(そのためには、男としての覚悟が必要なんだろうね。)


展示品では、ほかに江戸後期長崎の硝子の三段重、萩の深鉢などが印象深かった。
が、やはりなんと言っても、木喰上人の木彫仏像ははずせないだろう。あのなんとも言えない微笑を見ていると、自分が抱える悩みなんて雲散霧消してしまうように思えた。(これも『民藝四十年』に写真が載っている。)


この日は運良く道路を挟んだ向かい側、旧柳亭も特別公開されていたので、帰りにそちらもざっと見学した。昔の日本家屋は、やっぱり素晴らしい。自分が家を建てることがあれば、こんな感じの建物にしたいなぁとあらためて思った。(もっとも私には、もはや自分のためだけに家を建てるという考えはないのだけれど……。)


と言うわけで、この日は無理をしてでも出掛けてみてよかった。現代の日本は、今こそ柳宗悦という男を見直すべきだと思う。
柳の蒐集品は、時代遅れだとか、単なる骨董趣味だとか言って、打ち捨てられない〈大切な何か〉を私たちに伝えてくれている。それは今、私たちがすっかり忘れてしまっている何かである。


民藝四十年 (1984年) (岩波文庫)

民藝四十年 (1984年) (岩波文庫)