大切なもの

katakoi20082009-11-25



先週の水曜日18日は、久しぶりに青空の広がるいい天気だった。この日は研修日で授業がなかったため、休みをもらい、東京・駒場で行われていた「生誕120年記念特別展 柳宗悦の世界」に出かけてみた。


実は2〜3日前から少し風邪気味でしんどかったので、行こうか行くまいか迷ったのだけれど、先に見学した知人が「すごいよかった。休暇をとってでも行く価値がある!」とメールしてくれていたので、ちょっと無理をして足を運んだのである。


会場の日本民藝館に着いてみると、平日にも関わらず、ものすごい人で賑わっていた。
私はまず入り口付近に展示されていた李朝白磁の香炉にひきつけられた。それはいかにも清楚な美しさをたたえていた。柳が「無地の美」と呼ぶのは、きっとこのことだろう。彼はそこに「無限の『有』を包含する『無』」を見出し、指摘している。
いやいや正直に告白すると、その前に私は玄関の前庭に置かれた“お地蔵さん”で完全に打ちのめされていた。ガーンと頭を殴られたように、すでに「柳宗悦の世界」にぐっと引きずり込まれていたのである。(冒頭の写真がその“お地蔵さん”。)


館内に入ってみると、白磁だけでなく、展示品はどれも素晴らしかった。
なかでも特に「日本の手仕事」の部屋がよかった。錠前や手箒など、昔の日本人が作り、使用してきた小さな日用品には、安定した美しさが宿っていて、姿勢をピッと正さなければと思わせる潔さみたいなものを感じさせられた。


日本民藝館を開いた柳宗悦は、1889年東京に生まれた。学習院に学び、『白樺』に関わって千葉県我孫子に住んでいるとき、知人の浅川伯教・巧兄弟を通じ、朝鮮民芸品の美しさを発見した。
その後、彼は河井寛次郎濱田庄司らと交流を深め、「民藝」という言葉をつくった。会場のショップに売られていた『民藝の趣旨』によると、「民藝」とは「民主的工芸」という意味である。柳は無名の職人達が作った「実用品」、「普通品」に商業主義にとらわれない民衆の健全な精神を見出し、それを「健康の美」、「無事の美」とも呼んだ。


ここまでの説明でも幾分かは明らかなように、柳はもともと宗教哲学者であった。師はかの鈴木大拙である。だから彼にとっては、美しい器が生まれる事実と宗教的真理は決して別事ではなかった。
会場に掲げられていた解説によると、柳は「大無量寿経」第四願から啓示を得て、一気に「美の法門」を書き上げたという。彼の資質を伺わせるエピソードだ。


その後、柳は直感的に見出した「民藝」の美を求め、東北や北海道、沖縄など日本全国を歩き回り、アジア各国にも調査旅行に出かけた。その信念は一途で、戦前から戦中、戦後にかけてアイヌ朝鮮人に向けられた差別的眼差しを彼はいっさい寄せ付けなかった。そういう意味で、柳は終生、誠実な「美の求道者」であったと言える。
会場には、柳の書があちこちに飾られていたが、その字は彼のキャラクターをよく表しているように思った。岩波文庫の『民藝四十年』には、「無有好醜」という彼の書の写真が載っているので、ぜひどこかの本屋で立ち読みしてほしい。柳の書は、私の好きな字体である。いつか私もこんな字がかけるようになりたいものだ。(そのためには、男としての覚悟が必要なんだろうね。)


展示品では、ほかに江戸後期長崎の硝子の三段重、萩の深鉢などが印象深かった。
が、やはりなんと言っても、木喰上人の木彫仏像ははずせないだろう。あのなんとも言えない微笑を見ていると、自分が抱える悩みなんて雲散霧消してしまうように思えた。(これも『民藝四十年』に写真が載っている。)


この日は運良く道路を挟んだ向かい側、旧柳亭も特別公開されていたので、帰りにそちらもざっと見学した。昔の日本家屋は、やっぱり素晴らしい。自分が家を建てることがあれば、こんな感じの建物にしたいなぁとあらためて思った。(もっとも私には、もはや自分のためだけに家を建てるという考えはないのだけれど……。)


と言うわけで、この日は無理をしてでも出掛けてみてよかった。現代の日本は、今こそ柳宗悦という男を見直すべきだと思う。
柳の蒐集品は、時代遅れだとか、単なる骨董趣味だとか言って、打ち捨てられない〈大切な何か〉を私たちに伝えてくれている。それは今、私たちがすっかり忘れてしまっている何かである。


民藝四十年 (1984年) (岩波文庫)

民藝四十年 (1984年) (岩波文庫)

よっ、江戸川屋!

katakoi20082009-11-15



月日の経つのは早いもので、もう11月も半ばとなってしまった。
秋に入り、少し肌寒くなった頃からインフルエンザに冒される学生がボチボチ出はじめ、ここ最近勤務校では連日インフルエンザの対応に追われている。学校行事も次々と中止になり、本当にてんてこ舞いの状態で、教職員・学生ともに相当に心的ストレスがたまっている。


と言うわけで、なかなかブログの更新ができない日々が続いたが、学園祭が中止になったのを機にもう一度気合いを入れ直して、少しずつ復活していこうと思う。(わたしは何をやるにも仕事が丁寧すぎて時間がかかりすぎてしまうんだな。そこを反省して、もっともっと訓練していきたい。)


今年はどういうわけか、江戸川乱歩に関するイベントが目白押しだ。前にこのブログでも結城座・糸操り人形のことを書いたが、先月24日(土)は、かねてから楽しみにしていた歌舞伎「京乱噂鉤爪」の公演日だった。演題は「きょうをみだすうわさのかぎづめ」と読む。原作は江戸川乱歩「人間豹」。原案は市川染五郎、演出は松本幸四郎である。


恥ずかしながら、わたしは歌舞伎の舞台を観るのは、これが初体験。当日は少し寝坊した上に首都高が渋滞していて、会場の国立劇場に到着したのは、開演ギリギリだった。
今回の舞台は現代物だけあって、初心者のわたしにもとてもわかりやすい内容だった。歌舞伎は歌と踊り、音楽とセリフ、役者と黒子、俳優と観客……などが、まさに回り舞台のようにクルクルと反転するところに特質があると感じた。


役者は舞台で役を演じながらも、ここぞという場面では観客に「成駒屋!」などと声をかけられる。観客から声がかかった時ももちろん舞台は続いているわけだから、役者は手を振ったり、ニッコリと微笑んだりするわけにはいかず、あくまで役を演じている登場人物のひとりである。しかし同時に、役者はその贔屓筋によって役を離れた役者というキャラで前面に押し出されることになる。
またさらに他の観客もこうした瞬間を内心待ち望んでもいるわけだから、声かけする贔屓筋はアドリブで役者を引き立てるサポーターでもある。


歌舞伎は、こうした習慣・伝統のなかで主客がパッパッと入れかわる装置として育まれてきたのだと思う。観客と舞台がつながった花道などは、そうした性質をよく象徴しているし、また最近では、ワイヤーを使った宙づりも行われ、役者が観客の上を華麗に飛んでいく。どこまでが舞台でどこからが観客席か、その境界が不分明なのがいい。
今回も「市川染五郎宙乗り相勤め申し候」ということで、人間豹・恩田乱学扮する市川染五郎が、わたしの目の前を実際にクルクルと回転しながら飛翔していった。


ましてや今回の原作は、江戸川乱歩。表と裏、上と下、男と女、正義と悪が騙し騙され、次々と入れかわる。さらには人間が人形を操り、人形が人間を操るというストーリー。歌舞伎の本質にぴったりの作品だと思った。
歌舞伎というのは、芸術性ということに関して言えば、内容的には決して高級な舞台ではないけれど、しかし大衆エンターテイメントとしてはかなり贅沢なものだと思う。また機会があれば、今度は時代物を観に行ってみたい。


乱歩つながりでもう一つ。先週の土曜日7日は、久しぶりにのんびりと横浜まで出かけ、神奈川近代文学館で行われていた「大乱歩展」を見学した。
展覧会自体はそれほど大がかりなものではなく、目玉と言えるような展示物もなかったけれど、それでも小さな発見はいくつかあってそれなりに勉強になった。思ったよりお客さんも入っていて、乱歩の人気が窺い知れた。


それにしても乱歩の収集癖と分類マニアぶりには、あらためて脱帽した。ストイックなまでの『貼雑年譜』は、圧巻である。まだ見たことない人は、『貼雑年譜』を紹介した本もだいぶ出版されているから一度覗いてみるといい。乱歩が何十年という歳月を費やしてアートポイエーシスしたコラージュである。


乱歩の偏執狂は映像という分野にも及んでいて、これなどはわたしには新鮮に感じられた。彼は写真劇(映画)にかなり関心を持っていて、自らもムービーカメラを片手にさまざまなものを録っていたようだ。場内では、乱歩が録ったという3分ぐらいの映像が流れていて、なかなか面白かった。
偶然か、ねらいか、分からないけれど、乱歩は自分の作品を映画化している撮影現場に行き、撮影の様子を自らのカメラで撮影するという手の込んだことをやっている。そしてその撮影している乱歩を別のカメラがまた撮影している。いかにも乱歩らしいフィルムがよくぞ残っていたものだ。


今回の展覧会では、ほかに岩田準一、橘小夢などの挿絵がよかった。乱歩作品では、こうした挿絵の雰囲気もかなり重要だ。ここらへん、いつか研究してみよう。
乱歩はどうやら「残虐への郷愁」みたいな感覚を持ち合わせていたようだ。場内には月岡芳年の残虐絵をのぞき込む乱歩の写真が飾られていて、興味深かった。


横浜を訪れたこの日は、偶然にも近くの外国人墓地が公開されていて、「大乱歩展」を見る前に少し寄り道をした。この外国人墓地に関しても、書きたいことがあるけれど、それはまた別の機会にしよう。


わたしは何より寄り道、道草を楽しむタイプなので、なかなか目的地までまっすぐに進めないのだが、最近は残された人生をできる限り遠回りして行こうと心に決めている。せわしない現代では、そこに価値を見出して付き合ってくれる人は少ないだろうけれど、まぁ心の赴くままに自分らしく生きていきたい。

貼雑年譜 (江戸川乱歩推理文庫)

貼雑年譜 (江戸川乱歩推理文庫)


丸尾末広はここ数年、乱歩作品を漫画にしている。昨年刊行された『パノラマ島綺譚』は、今年に入ってたしか手塚治虫賞を受賞したはず。つい先日出た『芋虫』も息をのむほどに素晴らしい。丸尾の絵は、独特のタッチだが、乱歩にはよくマッチしていると思う。丸尾はセリフがなくても、絵だけで魅せることのできる希有な漫画家である。未見の方は、ぜひこちらも一度ご覧あれ。

パノラマ島綺譚 (BEAM COMIX)

パノラマ島綺譚 (BEAM COMIX)

芋虫 (BEAM COMIX)

芋虫 (BEAM COMIX)

芸術の秋

katakoi20082009-09-30



いよいよ夏休みが終わろうとしている。(我が勤務校は世間と大幅にずれて9月末日までが夏休みなのである。最近はすでに秋っぽいので「夏休み」という言い方も少しおかしいのだが……。)
この夏休み中にあれもやろう、これもやろうと計画だけは立てていたのだが、結局、ほとんど何も片付いていない。まぁ人生そんなもんであろう。(ただこの夏は出張であっちこち出掛けたので、随分と楽しい思い出だけは残った。)


夏休み最後の今日だから特別に……というわけでもないのだが、節目の時になんとなく告白しておきたくなったので、今宵はkatakoiの秘密をそっと打ち明けておく。


実はこの夏から私は北川健次先生のもとで「コラージュ」を習っている。(http://www.kenji-kitagawa.com/
「コラージュ」とは、もともとフランス語で「糊付け」を意味する言葉だが、今では現代絵画の技法の一つとして広く知られている。絵画における「コラージュ」はキュビスム時代のパブロ・ピカソジョルジュ・ブラックらが有名だが、主観的構成の意図を持たない「意想外の組み合わせ」としての「コラージュ」は、1919年にマックス・エルンストが発案したと言われている。そう、あの『百頭女』のエルンストだ。(覚えているかな?)
先日、北川先生の手解きを受け帰宅したら、偶然にも『美の巨人たち』という番組で「コラージュ」の創始者・エルンストが取りあげられていた。(繋がるときは恐ろしいほど繋がるもんだね。)


実際の「コラージュ」は、読み終わった雑誌等から写真を切り抜き、あるイメージのもとに何枚かの写真を組み合わせて作品を制作していく。冒頭の写真は「幾何学とエロティシズム」という課題で私が提出した作品の一つ。北川先生には、別の作品の方がいいと言われたのだが、私自身はこちらも気に入っている。「青の誘惑」というタイトルにしようかなと思っているのだが、どうだろうか。
私は小さい頃から美術が好きだったが、これまで専門的に勉強したことはない。北川先生のクラスには、個展を開いているような人もいて、私のような素人が混じっていてもいいんだろうかと不安になったりもするのだが、たまには自らを劣等生の立場に置いてみるのも一つの修行だろうと思って、今はその状況を楽しむことにしている。


「コラージュ」は一見すると簡単そうだが、実際にやってみると、これがなかなか難しい。(ただし一度はまると、その面白さに取り憑かれること請け合いだ。)私は最近は、雑誌を見ていても、街を歩いていても「あぁこの写真は使えるな」とか、「あの看板、面白いな」とか……目にするものことごとくをその文脈から切り離し、断片化して捉えなおすクセがついてしまった。これをアーティストの目と言えばいいんだろうか。
北川先生は「あんまり考え過ぎちゃダメだよ。とにかく手を動かしてみて」と言う。今、教育現場でこんなことは言わない。「行動する前によく考えよう」と注意を促すばかりだ。やっぱりポイエーシスって大事だなと思う。


夜、マックス・エルンストが放送されたその日は、先に書いたように北川先生の授業の日だったのだが、新宿の教室に向かう前に銀座・教文館に寄って藤城清治 光と影展」を堪能した。こぢんまりとした展覧会だったけれど、これまであまり見たことのない作品がいくつか展示されていて、とてもよかった。特に鏡が貼られた水槽を使った影絵は圧巻だった。
藤城清治の影絵は、間近で見ると、本当に一枚一枚が気の遠くなるような作業を重ねることで作られていることがわかる。アーティストは自分の命を削るように対象に向きあうのだろう。原爆ドームをモチーフにした藤城さんの作品には、祈りにも似た尊い時間が流れているように感じられた。
実際に戦争を経験し、今はもう80才を超えた藤城清治の平和への思い――。私は作品の前で清浄な気持ちになった。


藤城清治北川健次とでは、だいぶタイプが異なるけれど、でも作品に取り組む真摯な姿勢には共通するものがある。
私なんぞは「アート」の「ア」の字も知らない門外漢だが、これからも極力展覧会には出掛け、芸術には触れていたいと思う。

循環型人生

katakoi20082009-09-07



一昨日の土曜は、白浜「風流」で行われたイベント「FULL MOON PRAYER〜満月の祈り〜」に参加した。


「風流」は、女優の高樹沙耶さん(今は益戸さん?)が不定期に開いているオープンスペース・ギャラリー。(http://www.furyu-awa.com/ba/ba.html)目の前には白浜の海が広がっていて、なんとも居心地のいい空間だった。
そこかしこには人にも自然にもやさしいオーナーの配慮が行き届いて、お手洗いもなんと鍵のかからないコンポストトイレ。「地球にやさしい」が実に徹底されている感じ。もちろん益戸さんもとってもナチュラルで素敵な人だった。(妻はすっかり魅了されて、握手をしてもらっていたっけ。)


夕方17時頃に到着して、まずはヘンプフードの食事をいただいた。「ヘンプ」というのは「麻」のことで、私ははじめて食べたけれど、これがとっても美味しかった。(あとで聞くと、ご飯は古代米を使用していたそうだ。)
そして夜のメイン・イベントは、中山康直さんのトーク。中山さんは、中学の頃の臨死体験がきっかけで「麻」の研究に従事。(ここで「ヘンプ」とつながるんですね。)現在はピースクリエーターとして活躍。「縄文エネルギー研究所」の所長も務めている。
こんな経歴からわかるように、ご本人はとってもバイタリティーに富んだ人で、お話しもすごく楽しかった。2時間近くのトークも、笑いながら聞き入って、あっと言う間に終わってしまった。(ただうちの息子は行儀が悪く、ほとんど寝そべって聞いていた。中山さんは冒頭に「寝っ転がって聞いていても構いません」と挨拶されていたけれど、本当に寝る奴がいるとはねぇ。……どうも、すみません。)


さてその中山さんによると、7月の日蝕以来、世界はぐるっと回転する大転換期を迎えているそうだ。その一つが麻生が去って、鳩山がやって来たという政権交代。話ができすぎているけれど、鳩は麻の実が大好物らしい。(ホントかなぁ?)
「麻」というのは、さっき紹介したように食物に利用できるし、オイルもとれる。(なんと車を走らせることもできるそうだ。)また日本では、古来より神事やまつりごとに使用されてきた神聖な植物で、「麻の葉模様」は日本文化とも切り離せない。
これだけ利用価値の高い「麻」は、だから石油に代わる循環型社会のエネルギー源になると中山さんは力説する。そしてこのあいだの日蝕は、石油の利権に絡んで次々と戦争が仕掛けられていく20世紀型のイルミナティーの時代が一旦締めくくられ、新たな時代が到来する象徴であったのだと言う。


中山さんに言わせると、その鍵を握るのは丑寅の方向にのびる日の本であり、特に女性がキーになるそうだ。ここで話は横道にそれるが、男なんて単純な動物で、女にその気にさせられれば、なんでもやってしまうものらしい。(言われてみれば、そんな気もするが……。)だから逆に彼は「女性はうまく男の玉を転がしなさいね」と言う。(まぁこの日は、主催者の一人でもある、ある女性の誕生日だったので、こんなアドヴァィスにもなったのだろうけれど。)


中山さんのお話しは、こんな具合にあっちこっちにポンポンと飛んでいく。この他にも食と性の話とか、修験道の「入我我入」の話とか、いろいろ伺ったが、なかでも私にとって一番印象深かったのは「ぜひ皆さん、自分の物語を生きてくださいね」というメッセージである。現代人は、常日頃いろいろなしがらみのなかに生きているので、ついつい夫として、父として、あるいは教師として、また妻として、母として……生きてしまっている。まぁそうしなければ、生活の糧を得られないので、やむを得ずそうしているのだが、しかしそれがストレスを生む。
中山さんは、そうではなく、人生を「自分の物語」で生きていけば、その人は必ず「幸せ」になれると言う。なぜなら何も恐れることがなくなるからだ。そう、自分を解放してやればいいのだ。そうすれば、人は「死」の不安をも乗り越えられる。人は自分のやるべき事を成し遂げたとき、「自分の物語」を紡ぎ終わったとき、自ずと自然に帰って死を迎えるのだそうだ。


時代や世界のことはわからないけれど、いま私もこの数年で、大きな転換を迎えつつあるように感じている。「自分の物語」を紡ぐ準備をして、飛び立とうとしている。世間や社会の価値観にあわせる必要はないのだ。
その過程ではつらい出来事も予測されるけれど、「自分の物語」を全うするために、ひいてはそのことが自分と自分に関係する人たちを「幸せ」にすることだと信じて、自分自身を循環型に切り替えようと思う。「お前はアホか!」と罵られても、関係ない。自分の道を信じて進むだけだ。


この日はおめでたい愉快な一晩だったが、一方でちょっぴり静謐な一日となった。そんな複雑な気分を白浜の満月を見上げながら、そっと心に刻んだ。


私は最近、中山さんの影響で麻の褌をして寝ることにしているのだが、今宵も褌のヒモを締め直して寝ることにしよう。「褌」は音的に「運通し」に通じるらしい。フラジャイルな私に果たして新たな世界が開けるか? では、おやすみ!


麻ことのはなし―ヒーリングヘンプの詩と真実

麻ことのはなし―ヒーリングヘンプの詩と真実

「リズム」のある学校

katakoi20082009-09-04



先月の8月27日(木)は、休暇をとり、千葉NHK文化センターで行われたシュタイナー教育体験教室に参加した。実はその前にも9日(日)には、長南町の「あしたの国」で夏のオープンデーがあって、こちらには妻と2人で参加したのだった。
(来年度からいよいよ息子が小学校にあがるので、親としてはいろいろな可能性を求めて、できる限りあちこちのイベントに参加して、悔いのないようまずは自分が体験してみようという魂胆である。)


シュタイナー学校では、毎朝午前中に2時間弱のメインレッスンがある。学校によっては、「エポック授業」などと呼んでいる。国語なら国語、算数なら算数と毎朝2時間、1ヶ月間ぶっ続けで勉強する。だから今日の授業は昨日の続きで、その今日は明日へとつながっていく。
1教科だけ1ヶ月も続けたら、前月にやっていた授業内容をすっかり忘れてしまうではないか、という批判の声が聞こえてきそうだが、シュタイナーは忘れることも大切だと言っている。行きつ戻りつ、繰り返し学びなおすことこそが、人間にとってはとても大切な営みで、だからむしろ忘れる期間を設けたほうがいい。「学ぶ」ということは、「想起」するということにほかならない。(ちなみにプラトンは「想起」とは「頭のなかに書かれた絵を見ることだ」と述べているそうだ。)


今回の体験教室は、S先生による2年生の模擬授業だった。カタカナを学ぶ国語の授業である。(ちなみにうちの息子は5才にもなるのに、未だにほとんど文字が書けない。カタカナどころか、ひらがなもままならない。まぁなるべくなら音の世界に長く生きさせたいと思って、あまり真剣に教えてこなかった自分のせいなのだが……。)
2時間にも及ぶ「エポック授業」は、大きく分けて三段階に構成されている。(もっともこれは模擬授業が終わってから、教えられたことだが。)最初は身体を使ったリズム遊び。かごめかごめやハンカチ落としなど、昔の子ども遊びやゲームをして楽しむ。しかしただワーッと騒いでいるだけではない。時には耳を澄ましたり、小声でお話ししたり、あるいはピタッと動きを止めたりして、徐々に「動」から「静」へ、遊びの質を移行していく。この流れの中で子どもたちは自ずと集中力を高めていく。そうしていよいよ「エポック授業」のメインレッスンに入っていくのである。


今回は「ワニ」というカタカナを習う。と言っても、先生が黒板にお手本を書いて、それを子どもたちがノートにうつすわけではない。先生がおとぎ話をしながら、少しずつその内容を絵にしていくのだ。絵を描きながら、そこに文字を浮かび上がらせていく。(なんともプラトン的! 冒頭の写真はそのとき私が描いた下手くそな絵である。)
「ワ」というのは、開放的な明るい音なので口を大きく開けた部分に、「ニ」というのは、少し口を横に広げて発音する言葉なので地面すれすれのワニのお腹に記す。シュタイナー学校では、強引に「絵」のなかに「文字」を書き込むのではなく、その「文字」が持っている音のイメージと「絵」を組み合わせて覚えさせるのである。だから先生が違えば、「ワ」・「ニ」は違う「絵」になり、教え方も変わる。そもそも「ワ」と「ニ」の組み合わせではないかもしれない。(ちなみにこの「文字」のもつイメージを身体で表現したのが、あの「オイリュトミー」のダンスになる。)


こうして一枚の「絵」を描きながら、「ワ」・「ニ」という文字を習い、本日のメインレッスンは終盤を迎え、最後は先生のお話しの時間に移っていく。
今回はふだん実際にお話しされているなかから、弘法大師空海のお話が語られた。(あとで聞くと、これはS先生がいろんな本を読んでつくられたオリジナルの話だったらしい。それをやはり1ヶ月間かけて毎日少しずつ、空海の人生を子どもたちに紹介していくそうだ。ここのとろこで私は宮沢賢治を「想起」した。賢治が花巻農学校で行っていたことは、かなりシュタイナー思想に似通っている。もっとも東京には「賢治の学校」というのがすでに存在しているのだが。)S先生は、もともと哲学を勉強されていてご自身、空海が好きで生涯のテーマとしてずっと研究してこられたそうだ。(それを小学校2年生で教えてしまうとは、なんともスゴイことですねぇ。)


以上の流れですでにお気づきだと思うが、シュタイナー学校では「リズム」ということをとても重視する。2時間の授業のリズム、一日のリズム、1ヶ月のリズム、1年のリズム……である。(授業時間数さえ確保すればいいという単純な発想ではないのだ。いつどこでどのタイミングで何を教えるのか、シュタイナー学校ではこれに細心の注意を払う。)
9日のオープンデーでは、Y先生による講演「明日に向かう力の育て方」が行われたのだが、そのなかでもやはり「リズム」が強調されていた。「明日に向かう力」とは、どんな困難に遭遇してもともかく前に進んでいこうとする強い「意志の力」である。


シュタイナー学校では、これを育むことを第一の目標とするが、シュタイナーは、この「意志の力」は外から直接与えることはできないと言う。では、どうするか? それは寄せてはひく波のように、ドキドキと打つ鼓動のように、清々しい山の中で放つ呼吸のように……日々の授業の中で「繰り返す」ということを心身に刻むことである。
その「繰り返し」こそが「リズム」である。そしてその「リズム」を体得するには、「自然」の大きな力を感知しなければならない。「自然」は、日の出と日の入り、眠りと目覚め、毎日の食事など「リズム」の宝庫である。「リズム」のない「自然」はないと言ってもいいだろう。植物の葉っぱにもよく見ると葉脈が浮かんで「リズム」があるし、蝶の羽の模様にも「リズム」がある。蜘蛛の巣のあの網にも「リズム」があって美しい。


Y先生は、子どもたちにやる気を起こさせる方法として、以下の4つを教えてくれた。(いずれも今の学校が忘れていることだ。)

1 子どもたちに繰り返しの快感を覚えさせること。
2 ときにはこちらのやり方を変えてみること。
3 子どもたちをしっかりとほめてあげること。
4 子どもたちがその気になること。

最後の「その気になる」とは、子どもたちの「まねる力」「模倣力」のこと。
子どもたちはものまねの天才だ。まねてほしくないところばかり、すぐまねる。(まぁそれが「まねぶ」(学ぶ)ということなのだが。日本語はうまくできてるね。)
だから「こういう子に育ってほしい」という願望があれば、まずは親がそれを実践すればよい。教師がそれを行えばいい。簡単なことだ。「あいさつのできる子」になってほしければ、まずは親が大きな声で近所の人にあいさつしてみることだ。本をよく読んでほしいと思えば、自分が懸命に読書をしてみせることだ。
親や教師は、自分を棚に上げて子どもを責める。これではいっこうに埒があかない。


S先生の体験教室では、「教師はお芝居の役者である」というアドバイスが参考になった。だから授業はお芝居の舞台。
教師は「今日はこうしよう」とある程度、ストーリーを頭に入れて教壇に立つが、しかしその日の観客(子どもたち)の反応を見ながら、アドリブで台本をマイナーチェンジしていく。話を聞かない子どもがいたら、お芝居の雰囲気を壊さないように軌道修正し、芝居の世界に引きずり込む。そしてそのうちに子どもたち自身が周りとの関係から自分に与えられた役割を見つけるように仕向けていく。つまりどの子どもたちもかけがえのない役者の一人というわけだ。
シュタイナー学校では、手をつないだり、一緒に歌を歌ったりするなかで一人一人の子どもにそのことを気づかせていく。(低学年ではうまくいかないこともあるようだが。うちの子は大丈夫かなぁ?)


なんだか息子のために体験教室に行っているのか、自分の勉強のために行っているのか、だんだんわからなくなってきたが、模擬授業ではS先生の次の言葉がとても印象に残った。たぶんいつものクセでつい言ってしまったのだろう。それは「ゆっくりやることはとてもいいことだよ。だから早めに終わった人は、まだ終わっていない人の邪魔をしないようにね」という言葉である。
普通の小学校では、なかなかこうは言えないんじゃないだろうか。世の中のスピードにあわせて、「早くやりなさい!」「君だけ遅れているよ!」「なにモタモタしてんのっ!」と言うことはあったとしても。


いやぁシュタイナー学校は、勉強になるなぁ。(あっ! 自分がダメ教師なだけか。)


¶シュタイナー関係では、最近では雁屋哲シドニー子育て記』(遊幻舎)を読んだ。雁屋哲は、マンガ「美味しんぼ」の原作者。東大を卒業した秀才でもあるが、子どもたちには自分が経験したような日本の教育を受けさせたくないと思い、オーストラリアに脱出。そこで偶然にもグレネオンというシュタイナー学校に出会う。
親の立場からシュタイナー学校の実際について書かれた本で、とてもわかりやすく参考になった。私は途中、泣きそうになった。(いや、少し泣いたかな?)


シドニー子育て記―シュタイナー教育との出会い

シドニー子育て記―シュタイナー教育との出会い

乳房と読書


乳房は私の掌の形をしている……と、私のノートには綴られている。
続きはこうだ。
乳房は掌のために造られた
掌は乳房のために造られた


ノートというのは、私の「読書ノート」のことで、これらの言葉は私自身の言葉ではない。堀口大学の詩の一節だ。
伴田良輔の写真集『BREASTS』朝日出版社)の帯に引用されているのを本屋で見かけ、妙に気に入って、高かったけれど勢いで買ってしまったのである。(まぁこの本については、前々から新聞広告で知って気にはなっていたのだが……。)


堀口の詩の言葉は、エロティックなだけでなく、ギブソンアフォーダンスやユクスキュルの環境世界を想起させて面白い。(恥ずかしながら、堀口大学がこんな洒落た詩を書いているなんて全然知らなかった。)


『BREASTS』については、また後で触れるとして、なぜ私がこんな言葉をノートに書き綴ったかというと、奥野宣之『読書は1冊のノートにまとめなさい』Nanaブックス)を実践するためだ。(その最初が「乳房」というのもどうかと思うが。)
読書ノートや引用ノートの類は、もちろんこれまでにも試したことがないわけではない。が、なかなか長続きしない。その理由は次第に面倒くさくなるからで、さらにのちのちあまり役に立たないからだ。これではノートをつける意味がない。


奥野の本書は、面倒くさいという点とのちのち役に立たないという、この2点を見事に解決する、非常にシンプルな「読書ノート」実践法を提示している。その方法は●と☆を使用する。実に簡単だ。
●は、自分にとって重要な本の内容を書き出す記号。つまりは本文の引用部分。そして引用・抜き書きしたら、ノートのそのすぐ下の欄に☆をつけ、そこで発生した「自分の考え」を書きとめておく。実にこれだけである。引用したい箇所がなければ、☆1つで本全体の感想を1行ですませてもよい。
奥野は、大事なのは形式にあまりこだわらないことだと言う。これなら少し長く続けられそうだ。


私はある理由からこの手の勉強本は最近は遠ざけてきたのだけれど、本屋でざっと目を通してみると、ところどころいいことが書いてある。それでちょっと浮気心を出して、読んでみる気になった。
たとえば、こんなところである。
考えというものは必ず何らかの刺激に対するレスポンスなのです。(p110)
この箇所は、私のノートでは当然●がついている。そしてその下に「☆反応のよい身体、心にしておけば考え(アイディア)は浮かぶということだ」と記してみた。
読書によって頭が反応するだけでなく、嗅覚や触覚、皮膚感覚など、もっともっと全身の感覚を敏感にしておくことが勉強では大事だと私は近頃つくづく感じている。(だから文学研究と言えど、たまにはその作家のふるさとを訪ねてみることも必要だ。「空気」とか「水」を感じると言えばいいだろうか。)


話が少し横道にそれたが、まぁざっと先の●について、以上のようなことが頭を過ぎったのである。
そんなことをチョッチョッとメモしておくのが、奥野式の「読書ノート」である。奥野によると、作家の井上ひさしは、こんなノートが1年に5〜6冊になるそうだ。(あれだけの読書家、記憶の天才でもちゃんとノートをつけているんだね。)
本書では、ほかにも●をつけて抜き出したところがあるのだけれど、逐一ではキリがないので、あと1箇所だけ引用しておこう。
情報がいくらあっても、アウトプットをやらないと体系的な知識にはならないわけです。/つまり、人はよく知っているからしゃべったり本を書いたりできるのではなく、講演したり文章を書いたりするから、より高度に「知る」ことができる。(p121)
この箇所の私の☆は「これ、授業にあてはめたい」だ。


先日、私は身体に障害を持つ学生と話していて、このインプットとアウトプットの関係について、おおいに考えさせられることがあった。
INとOUTの関係をわたしたちは往々にして誤解しているところがある。むしろ逆に発想した方がいいことが多い。人は決してINしたからOUTできるのではなく、OUTしたからINできるとか、OUTしつつINすると考えた方が現実にあっているのだと思う。
先の●は、ここらへんの私の経験と通底したから●になったわけだ。


で、話はもとに戻って、奥野式「読書ノート」に切り替え、栄えある1冊目が伴田良輔の『BREASTS』だったというわけである。
伴田良輔は今、私がもっとも気になる人物のひとりで、エロティックな評論だけでなく、本書のような写真も手掛け、さらには数学のパズルもこなすというマルチタレントである。(私はこういう人に憧れる。)


本書は、タイトルからわかるように、一般からモデルを募集して撮った「乳房」の写真集である。モデルはおもに20〜30代の女性で、実に艶めかしい。写真はカラーもあれば、モノクロもある。
写真の載っている反対側のページに、ところどころ先に●した堀口大学やあるいは与謝野晶子佐藤春夫などの詩句が挿入されている。その言葉と写真が絶妙にマッチしていて、それが本書に奥行きを与えている。


写真集だからあまり引用する言葉はないけれど、それでも何カ所か、私は●で抜き書きした。
重力と浮力の拮抗によって乳房の形は決まります。浮力とは乳房そのものの持つ力です。重力と浮力の拮抗が、乳房の下半分に円の一部である円弧を形成します。ぼくは乳房を撮影するとき、この円弧にみとれていることがしばしばあります。
☆乳房に円弧があることに気づかせてくれた。たしかに円弧は美しい。


「20代のオッパイはきれいだなぁ」というのは、本書の写真を覗き見した妻の発言だが、「重力と浮力の拮抗……」というところと妻の発言に関係があるのかないのか……気になるところではある。(が、質問はしなかった。)


愛とはオッパイである。ヒトのオスだけがセックス時にオッパイをまさぐるのは、失われた黄金郷へのノスタルジーのためといわれる。鹿島茂、帯の言葉)
☆なし
著者の伴田は、●そのままで、ただ見るだけで、誰もが幸せに感じるものがあるとしたら、乳房をおいてほかにないのではないでしょうかと書いている。(言われてみると、そんな気もするなぁ。)


なんだか奇妙な虫虫になってきたけれど、要は「乳房」は「重力と浮力の拮抗」の問題になり、「円弧」の美しさになり、果ては「ノスタルジー」にもなるということだ。
読書というのは、こんなふうに次々と頭の中をいろんなイメージや言葉が過ぎっていくことなのだろう。


奥野はこんな言葉を紹介している。
「アイディアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」/ジェームス・W・ヤング(p150)



伴田良輔については、私は『独身者の科学』、『絶景の幾何学』をパラパラと読んで、いっぺんに敬服してしまった。どこかで見かけたら、ぜひ立ち読みをオススメする。が、ちょっと覚悟がいるかもしれない。(と言っても、古い本なので、めったにお目にかかれないと思う。)


読書は1冊のノートにまとめなさい 100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング (Nanaブックス)

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BREASTS 乳房抄/写真篇

BREASTS 乳房抄/写真篇

人形三昧!

katakoi20082009-08-22



今日は、東京で用事のあったついでに六本木21_21 DESIGN SIGHTで行われている「骨」展を見に行った。山中俊治ディレクションによる展覧会だ。いかにも斬新なテーマである。
実際に足を運んでみると、そんなにたくさんの作品は出ていなかったけれど、どれもこれも本当に素晴らしかった。一つ一つのレベルの高さに魅了された。


ふだん私たちは「骨」なるものに思いを馳せることはないが、のっけからダチョウやペンギン、キリンなどの骨格標本を見せつけられ、「そうか、人間もまた骨からできていて、骨へ還るだけのことだな。何も恐れることはないんだな」とふと思いつき、妙に納得させられた。
また電化製品や飛行機などの乗り物がレントゲン写真に撮られていて(ニック・ヴィーシーの作品)、私たちの身の回りのモノたちもすべては「骨」から成り立っているんだ、と了解した。(世界は「骨」からできているんだね。)


展示作品の中では、明和電機の「WAHHA GO GO」がまず印象に残った。
この作品は実際に手で触れて動かすことができるのだが、しかし動かしたところで、劇的な変化はなく、ただ妙な声を発して笑うばかり。私には、かえってその無意味さが面白く感じられた。


全体的には、今回の展覧会ではデジタルアートの作品にいくつか目を見張るものがあった。(いまデジタルの世界は、ここまで来ているんだね。)
THA/中村勇吾の「CRASH」は、生命のない無機的なデジタルの空間にか細い線でデザインされた数字がゆっくりと落下してきて、それがそのまま底にたどり着くやいなや木っ端微塵に砕け散るという作品。私は何度も繰り返し、その壊れゆく数字の運命に見入ってしまった。
それから白い壁にうつった自分の影が、突如骨格を与えられ、勝手に動き出す緒方壽人+五十嵐健夫の作品「another shadow」もすごかった。(子どもを連れてきたら、きっと喜ぶだろう。)


そしてなんと言っても、今回の目玉は玉屋庄兵衛のからくり人形「弓曳き小早舟」だろう。庄兵衛は、人形作りで一番難しいのは、顔だという。顔さえできれば、身体は自ずと決まるそうだ。からくりの仕掛け自体は、職人にとっては自慢の種にはならないのだろう。
今回、山中俊治が考案した人形は、あえて目鼻のないのっぺらぼうの顔だったが、ビデオの中で弓を引き放つその一連の動作にあわせ、弓曳き童子が刻一刻と表情を変えるさまが素人の私にもはっきりと見て取れた。それは目鼻のない無生物の人形にまさに魂が吹き込まれていく瞬間のように感じられた。


夜は、用事を済ませた後、池袋まで足を運んで、結城座創立375周年の記念公演「乱歩・白昼夢」を観劇した。結城座は、結城孫三郎(両川船遊)率いる傀儡師集団。人形芝居のパイオニアである。
今回の「乱歩・白昼夢」にもちゃんと〈江戸糸あやつり人形と江戸写し絵による〉という副題が付せられている。


写し絵とは、「風呂」と呼ばれる特殊な幻灯機を使って極彩色の絵をスクリーンに映し出すアニメーション。いわば動きのあるカラフルな影絵である。初代・両川船遊こと、田中喜兵衛は独特の演出を考案すると、写し絵はたちまち人気を博し、彼はあっという間に写し絵の第一人者になったと言う。
この田中喜兵衛と遠縁にあった結城座は、九代目から写し絵とあやつり人形を組み合わせ、それ以来今日まで両者を継承していくこととなった。


私は今回、初めて糸あやつりの人形芝居を見たが、すぐにその不思議な世界の虜となった。
傀儡師は、ただ単に人形を操るだけではない。操りながらセリフを発し、自らの身体でも演技を行う。その意味では傀儡師と人形は、まさに一心同体。しかし時に人形が傀儡師に話しかけ、会話が生じる。このときばかりは二心別体だ。すっと同化したり、ぱっと遊離したり、その虚実皮膜の間が観客になんとも不思議な感覚を引き起こす。


ましてや今宵は乱歩。「夜の夢こそまこと」と放言した乱歩の怪しげな世界は、人形芝居にこそ似つかわしい。一体どこまでが現実で、どこからが嘘か。操っているのは誰で、操られているのは一体、誰? 人形? それとも……。
乱歩はよく映画化されてきたけれど、私は断然、映画よりも人形芝居の方がいいと思った。


先にも触れたように、結城座は人形だけでなく、写し絵も利用する。それがまた絶妙なのだ。今回はその意匠に宇野亜喜良を起用しているから、もうたまらない。
乱歩の不気味な世界に宇野のエロスが溶け出していく。宇野のあの細い裸体の少女が大きくなったり、小さくなったり、身を屈めたり、股を開いたり……舞台の上で、自由自在に乱舞する。
さらに今回は音楽を黒色すみれという2人の女性ユニットが全面的に手がけ、ずっと舞台の袖で生演奏していた。彼女たちの歌もとってもよかった。(帰り際、彼女らの最新アルバム『Gothlolic』を買ったら、その場ですぐにサインしてくれた。)


いや〜今日はなんとも贅沢な一日だったなぁ。
前にこのブログで佐々木幹郎の『人形記』のことを書いたけれど、今年はなんだか人形に憑かれた年になりそうだ。
またいつか機会があれば、どこかで人形芝居を観てみたい。きっと心奪われることだろう。


骨―第5回企画展「骨」展展覧会カタログ 山中俊治ディレクション

骨―第5回企画展「骨」展展覧会カタログ 山中俊治ディレクション

Gothlolic-ゴスロリック-

Gothlolic-ゴスロリック-