アートフルワンダーランド


今週は本屋で通りすがって、思わず釘付けになった2冊の本を紹介したい。(あぁ虫虫するのも久しぶりだなぁ。面目ないなぁ。)


1冊は、にしのあきひろDr.インクの星空キネマ幻冬舎)。にしのあきひろとは、漫才コンビキングコング」の、あの西野亮廣である。
本書は、しかしお笑い系の本ではない。表紙を見てもらえばわかるように、細密線描画による大人向きの絵本である。絵と文をにしの自身が書(描)いている。
わたしはこの本を目撃していっぺんに彼の絵の虜になってしまった。(帯にはタモリの推薦の言葉もある。)紙面を尽くす震えるような細かな線。にしのはこの本を完成させるのに、5年の歳月をかけたそうだが、それも肯ける線の細さである。(わたしは、なぜかこういう線描画に異常に惹かれるのだ。)


本書には、4つの短いお話が載っている。
最初は絵は凄いが、お話は「まぁそれほどでもないかなぁ」と高を括っていた。が、読み進めていくうちに本書の仕掛け、にしのの企みがわかってきた。つまり「ネコ」が「少女」で、「少女」は「サンポーニャ」なのだ。そしてたぶん「トキオ」は「東京」なのである。
これではなんのことだか、さっぱりわからないだろうけれど、物語の種明かしはしないでおこう。(気になる人は、ぜひ本書をひらいて確かめてみてほしい。すぐに理解できるはずだ。うーむ、こういう綴り方もあるんだね。)これはやっぱり本人が絵も手掛けているからなせる技だ。


にしのの絵はたぶん未来のお話なんだろうけれど、でもどこかなつかしい。わたしはそこに惹かれたのかもしれない。
にしの本人は、この本は「子供の頃のボクへのアンサーブック」だと言う。どうして夢を見るのか? 流れ星はなんで流れているのか? そんな子供の頃の疑問に大人になったボクが出した答え。それが本書の物語なのである。
だからわたしは、どのページを見てもなつかしさを感じるのかもしれない。にしのあきひろ……なかなかどうして、たいしたアーティストである。


さてもう1冊は、エルンスト・ヘッケル『生物の驚異的な形』(河出書房)。
これもふだんは立ち寄ることのない小さな本屋で、バスの待ち時間があったため、たまたま見つけた本だ。偶然手にとり、たちまちに魅了されてしまった。(帯には荒俣宏が推薦の言葉を寄せている。)


著者のエルント・ヘッケルは1834年プロシアに生まれた。彼は最初医学を学ぶが、高名な生理学者ヨハネス・ミュラーの教えを受け、海洋生物学に目覚める。そして次第に彼は自然の持つ無尽蔵な豊かさとその美しさ、形というものの魅力に取り憑かれてゆく。
ヘッケルは20代の頃、風景画家になるか科学者になるかで迷っていたらしいが(人生にはそういう岐路がつきものだ。M君、ファイト!)、自然に魅了されてからは科学の道を選んだ。


生物学者としてのヘッケルは、系統発生的分類に没頭し、一元論に執着した。その立場からダーウィンの進化論を断固として認め、カントのアプリオリな理性に反論した。
門外漢のわたしには、彼の生物学者としての業績を云々する資格はないが、ぜひ一度手にとって見てほしいのは、彼の系統樹のデザインである。これは一見に値する。さすがに画家を目指していただけのことはある。そこには生物学を超えた地球史的世界観が絶妙に表現されている。


本書は植物や昆虫、クラゲなど、ヘッケルが描いた精密な生物画の図版集である。その精緻なスケッチと幾何学的な文様、彩色の鮮やかさは、息をのむほどに美しい。
ヘッケルの描く絵は、科学的でありながら、もはやアートの域に達している。事実、彼のスケッチは当時のアール・ヌーヴォーと共鳴し、多くの芸術家たちに影響を与えた。建築家のルネ・ビネは、1900年のパリ万国博覧会でヘッケルの放散虫の絵をモデルに入場門の設計デザインを考案している。
そういった意味で、ヘッケルは紛れもなく科学と芸術をつなぐ知の仲介者だった。彼は「形態」というものにモノの「本質」を見出し、さらにそこに「精神」までも看破した。彼にとって、生物形態の系統発生論は同時に精神の系統発生論なのである。自然について知ることは、自然の美を知ることにほかならなかった。


わたしは、にしのの絵を見て、すぐにヘッケルを思い出した。絵のタッチが似ているということだけでなく、モチーフ自体が類似しているように思われたのだ。
『Dr.インク…』にはクラゲのようなキャラが宇宙を漂っているし、だいたい「Dr.インク」自身がタコのような形姿(フィギュア)なのだ。にしのの絵のなつかしさは、もしかして子供の頃の記憶をうんと遡って、わたしたちの生物としての記憶にまで関わっているのではないだろうか。


虫や植物、魚や菌類など、目を食い入るように観察すると(実際には顕微鏡を使って)、その形からわたしたちが忘れていた記憶が呼び起こされるのかもしれない。
大人になってしまうと、なぜか触るのを躊躇するけれど、そう言えば、子供の頃はおたまじゃくしや蛙、トンボ、トカゲなどを平気でつかまえ、間近に見入っていたっけ。(臆病な我が息子はまだ虫をつかまえられないが……。)
ヘッケルは夥しい時間を費やして1枚の細密画を完成させる。その過程で、あらためて不可思議な自然の造形美を触知する。


現代に生きるわたしたちは、あまりにも科学的な後ろ盾を信頼しすぎていて、その美しさを感知する術をすっかり忘れてしまった。
科学と芸術――この両者のつながりを2冊の書物、その細密な陰影の奥に感得しておきたい。


Dr.インクの星空キネマ

Dr.インクの星空キネマ

生物の驚異的な形

生物の驚異的な形

サーカスの魅力


ブログも更新しよう更新しようと思いつつ、ついに1ヶ月以上経ってしまった。


別に薬をやって頭が朦朧としていたわけでも全裸で死んでいたわけでもないが、あまりにも職場で馬鹿馬鹿しい雑用が多くて、ふてくされていたのである。そうプツンと切れていたのである。


と言っても、何も1ヶ月間ずっとサボっていたわけではなく、それなりにあちこちと出掛け、自分なりの学びは続けていた。追々、そんな報告もしていきたいと思う。


で、今回はリハビリ的に軽めの話題。


先週の土曜日は、待ちに待ったサーカスの日だった。私はふだん忙しくてめったに家族と遊びに行けないが、この日は久しぶりに一家そろって横浜までドライブした。
息子にはいろんな舞台を見せてやりたいと思っているが、その最初としてサーカスは打って付けだった。
実はつい先日38になったばかりの私もサーカスは今回が初めてだったのだが、すこぶる魅了された。出だしから泣きそうになった。


一見すると、華美なあのサーカスの背後には、しかしどこか物悲しい雰囲気が漂っている。ピエロはいつもにこやかでありながら、ちょっと怖いオーラも持っている。(うちの息子は事実、初めて見るピエロにすごく怯えていた。ショーが始まったあとでは大笑いしていたけれど。)
その他、舞台では馬が走り回るウェスタンもあれば、妖艶な東洋の美女も登場した。また獰猛なクマが芸を見せれば、犬たちは観客の笑いを誘う。


オモチャ箱をひっくりかえしたような、このなんでもありのいかがわしい感じは、私に中原中也よりも寺山修司を思い出せた。(文学者がサーカスに惹かれるのも納得だ。)いやいや、それでいてロシアの気怠い知的な匂いも場内に充満していて、実によかった。


サーカスは大人も子どもも楽しめる見世物だ。
現代社会は、いつのまにかこうしたいかがわしさやまがい物くささを忌み嫌うようになった。それが社会をいよいよつまらなくさせ、私をますます不快にさせる。私がふてくされる原因だ。


偽物、三流、大いに結構。世の大人たちは、もっと子どもたちが怯えるようないかがわしさを放つべきなんだと思う。(押○くんはどうかと思うけど、今の政治家たちはなぜあんなにクリーンを売り物にするのだろう?)
でもでも、いかがわしさを醸し出すには、目に見えぬ相当な努力が必要だろうね。


サーカスのあの華やかなステージの裏には、それこそ血の滲むような訓練があるのだと思う。場内ではカウボーイたちがふるう鞭がビシッ、ビシッと鳴って、幾度も響き渡っていた。

秘密の通路

katakoi20082009-06-30



先々週の金曜19日は、仕事を早々に切り上げ、東京・日本青年館ホテルで行われた松岡正剛氏の講演「時空の方舟―白川静の漢字世界観」を聴きに出掛けた。


本講演は前にこのブログでも書いた、ワタリウム美術館の「歴史の天使」展の関連企画で4つ目のシリーズ講演にあたる。(2つ目が多木浩二の講演だった。)
と言っても、今回は「歴史の天使」に関連したものではなく、サブタイトルにあるように白川静の漢字研究を追跡する内容だった。(たぶんワタリさんの要望で、平凡社新書の『白川静』をふまえたお話を……ということだったのだろう。)


白川静については、これまでいくぶんかは親しんできたつもりだったが、わたしは今回の松岡氏の講演を聴いて、自分は白川静のことをまったくわかっていなかったんだと思い知らされた。
はたして白川静とはいったい何者か。昔かたぎの気骨のある漢字学者? うーむ、そうかもしれないけれど、それはあくまで彼の一面にすぎない。白川静は決して単なる学者なんかではなかった。わたしはそこを完全に見誤っていた。


松岡氏は白川静の漢字研究はアートに触知していると言う。(それをいちはやく見抜いたのは、さすがにヴィジュアル・アーティストのナムジュン・パイクだった。)
白川は古代の甲骨文字を何万枚もトレースしていく過程で漢字の線に動きを与え、そこに意味を辿り、その成り立ちを究明した。その神業的行為は、線という物質に魂を吹き込む秘儀アニマにほかならず、その意味で彼は錬金術的アニメーション作家なのである。


白川は漢字は神と人を媒介するメディアであると結論づけたが、白川自身がそれを感じとる巫女的存在、メディウムであった。
だから松岡氏は講演のなかでしきりに「白川静についてはうまく語れない」と漏らした。白川静が行った研究、彼が残した書物――それらは後からどうとでも整理し、紹介することができようが、しかしそれをしたところであまり意味はない。先にも触れたように、彼が夢想していた世界はそれ以上に大きく、その方法は神懸かり的であったからだ。
よって白川静については、彼の魂とともに語るしかないのだが、それを行うためには自らもメディウムと化すしかあるまい。はたして何人がその偉業を成し遂げ得るか。


白川の胸底には、修行僧のようにして培った世界のエディティング・モデルが宿っている。彼はそこから漢字の成り立ちや一首の和歌解釈という〈部分〉へ向かう。この場合、〈部分〉とは、ミニアチュールの世界にほかならない。そうして白川はまた彼が住処とする大きな世界へ舞い戻っていく。
「手つき」と言ったほうがよさそうな白川静の方法は、したがって見方を変えれば、作っては壊し、壊しては作るリバース・エンジニアリングそのものである。その精神は出たり入ったり、あの世とこの世を行ったり来たりして、世界の部品を交換しつつ、神との交感を果たしている。


こうした方法を体現していた白川だからこそ、その思想は極めてラディカルで、その研究成果はいつも通説を覆す。フラット化する今日の浮薄な時流において、だから彼のラディカルな思想は、極めて重要だ。
つい最近も脳死をめぐる議論がニュースになっていたが、白川の漢字研究では、実は生も死もそんなにかけ離れた概念ではない。古代社会では、最初にできた子どもは神に捧げるために捨てられたと言う。生まれたばかりの赤ん坊を逆さ吊りにして捨てる姿が「棄」という漢字の起源であるらしい。


大正期、日本では童謡運動なるものがおこって、北原白秋や野口雨情など、さまざまな文学者が童謡の詞を書いたが、そのどれもがどこか寂しく悲しい歌だった。なぜ子どもの歌なのにこんなにも悲しく切ないのか。それを解く鍵は、白川の言う「棄」の成り立ちにある。
わたしたちは「棄」てられてはじめて「自分」というものを知り、あるがままの「自分」を受け入れる。(そのもっともわかりやすい例が、失恋だ。あ、そう言えば、まど・みちおは、家族に「棄」てられるという経験をしていたね。)


白川は漢字を「呪能」と捉えていたが、そこにはいくつもの「負」の要素が入り込んでいる。(言葉って、時に人を深く傷つけるけれど、そもそも漢字が恐ろしいものなんだね。先にも書いたけれど、白川はその霊的な「負」の世界を敏感に察知した人なんだと思う。)
かつてエリアーデは、二分法(ダイコトミー)に抗し、「反対の一致」という言葉を駆使したが、現代人はあまりにも「正」の世界ばかりを求めすぎた。それを松岡氏は「まつる」という感覚を失っていると表現した。「まつる」とは「祭」であり、「政」であるが、要はセンタリングのことである。(それでいま思い出したが、このことは盆踊りの時、わたしたちが円になって踊ることと関わっているはずだ。)
世界には表が裏で、裏が表のような秘密の通路が隠されている。それが「反対の一致」だ。白川は漢字に「負」の要素を見出すことで、その裏側に通じていった。現代人はその道行きをこそ学ぶべきだろう。


いやいやもっと驚くべきは、白川静の漢字研究は、決して目的ではなく、あくまで手段だったということだ。彼の真の目的は、中国の『詩経』と日本の『万葉集』を同時に読むことであった。この2つの書に繋がりがあるのか、ないのか。それを探るために、白川は文字研究に打ち込んだのだ。(いや〜この世界観はホントにすごい。)


講演の最後で、松岡氏は「狂狷」という言葉を紹介した。これまで通説として信じられていた「聖人」ではなく、白川が新たに孔子像として打ち出した言葉である。『孔子伝』に詳しい。
「狂狷」という言葉は、言うまでもなくそのまま白川静本人に重なるが、わたしにはさらに松岡氏が彼を借りて現代に託したメッセージのように感じられた。


ここのところ仕事が忙しく、今もアップアップしているけれど、久しぶりに松岡正剛氏の話を聴いて少し元気が出た。
心満たされて会場を後にしたら、道路脇に白い綺麗な花が夜間工事のライトに照らされて咲き誇っていた。とってもいい香りを放っていたが、あれ山梔子かな? 
なんだか白川静の夜にふさわしい花に思えた。


白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)

白川静 漢字の世界観 (平凡社新書)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

孔子伝 (中公文庫BIBLIO)

当たり前のことを『学び合う』

katakoi20082009-06-18



もう一週間以上も前の話になるが、6月7日(日)は同僚に誘われて横浜の神奈川近代文学館で行われた『学び合い』入門セミナーに参加した。
『学び合い』とは、上越教育大学の西川純先生が中心となって研究・提案されているひとつの授業法で、わたしは以前から名前だけは聞いて知っていたが、具体的にはどんなものかよくわからなかったので、ちょうど近代文学館で調べたいこともあり、出掛けてみることにした。


当日は(幸か不幸か)好天に恵まれ、神奈川近代文学館がある港の見える丘公園では薔薇やあじさいなど、美しい花々が咲き乱れていた。(公園内にはデートを楽しむ初々しい高校生カップルやお洒落な横浜の恋人たちが何組もいて、ひとり寂しくベンチに座り、おにぎりを食べていた身としては、ちょっぴり羨ましく思った。)


セミナーでは、まず最初に西川純先生による50分間の講演が行われた。ご自身の経験と実証的な実験データをふまえた大変わかりやすい講演で、『学び合い』という授業の方法がよく理解できたし、あわせていまの子どもたちが置かれている現状も把握することができた。
わたしは初めて西川先生にお会いしたが、とてもエネルギッシュな方で、お話も落語家のように捲し立て、とても楽しかった。
司会をしていた横浜の中学の先生によると、西川先生は日本全国どこからでもメールで相談すれば、必ず返信して授業のアドヴァイスをしてくれるそうだ。(だから彼の周りには、たくさんの賛同者・信奉者が集うんだろうね。)


西川先生の講演の次は、信州大学三崎隆先生による国語の模擬授業が行われた。今回は中学の国語教科書を教材に、ある小説を読んで一定の条件に基づいた短い感想文を書くことが目標だった。
『学び合い』では、常に授業の目標が最初に呈示され、時間内にクラス全員がそれをクリアすることが求められる。今回はひとまずクラス全員が感想文を書ければOKで、内容自体は深く問わない。わたしも最初は何をどう書いていいのか、少し戸惑ったが、勇気を出して周りの人と意見交換してみたら、パッとひらめくことがあって、すぐに感想文を仕上げることができた。
『学び合い』は、こんなふうにお互いが助け合い、刺激しあって、勉強を進めていく。今回の模擬授業ではそれを実感することができた。これは自分でも驚くほどすんなりと受け入れられる体験だった。


3番目は西川先生と同じ上越教育大学の水落芳明先生による50分間の講演だった。水落先生もお話がとても上手で、すごく腑に落ちる内容だった。この講演でもご自身の体験をもとに様々な事例が紹介された。なかでも特別学級対象の児童が『学び合い』でクラスの子どもたちに受け入れられていくというお話は、感動的で共鳴するところがあった。


あとは横浜の小学校で実際に『学び合い』スタイルを取り入れて授業をされているお二人の先生の短い報告があった。
お一人の先生は、自分の報告よりも実際に『学び合い』を経験した子どもたちの感想のほうが参考になるだろうということで、小学校を卒業して、いまは中学生になっている教え子たちを呼んで、彼・彼女らの生の声を聞かせてくれた。子どもたちはどの子も『学び合い』のスタイルは、友達との関係が深まって楽しかったと語っていた。
子どもたちの話を聞いていると、『学び合い』は教科の学習だけでなく、クラスの人間関係をうまく築いていくのに有効のようだった。


セミナーでの体験を振り返り、こうして感想を綴ってみると、『学び合い』というのは何も特別な方法ではなく、一昔前までは当たり前の授業スタイルだったような気がしてきた。
勉強ができる子はできない子に教えてあげる。困っている子がいれば、クラスメイトとして手を貸してあげる。わたしが小学生や中学生の頃は、教師はどの先生も成績より助け合うことの大切さを教えていたように思う。「自分さえよければよい」という打算的な考えをはっきりと否定して、そういう子をちゃんと諭していたように思う。日本はいつのまにそういう大事なことを教えない国になってしまったのだろうか。
『学び合い』は、一見教科学習には関係ないように思われる「友達との絆」や「クラスの仲間意識」といったものが、いかに個々人の勉学に大切なことであるかをあらためて教えてくれる。(そうだよねぇ。人は誰でも人の役に立って、感謝されて、自分の存在意義を確認したい。人間にはそういう細胞が埋め込まれているのだ。前にこのブログで書いた言葉で言えば、「相互承認」ということになる。)
西川先生をはじめ『学び合い』に関わる先生方は、そのことを実証し、実践してくれているんだと思う。


それにしても会場には、小学校・中学校の先生を中心に100人をこえる参加者があって、わたしなんかはそれだけで十二分に心強く、励まされた。教育の現状を憂い、なんとかそれを立て直そうと努力を重ねいてる先生方がこんなにもいて、その姿に直に触れることができ、嬉しかった。
教育さえ立て直せれば、日本はもう少し頑張っていけるんではないか。


ところで神奈川近代文学館の閲覧室では、恩地孝四郎のミニ展示が行われていて、わたしはこちらにもいたく感動してしまった。
恩地の装丁感覚、ブック感は本当に素晴らしく、もっともっと研究されていいと思う。コンテンツとデザインというものを一体として捉える感覚は極めて現代的だと思う。まぁ、またいつかこのブログでも取りあげてみたい。


学び合う国語―国語をコミュニケーションの教科にするために

学び合う国語―国語をコミュニケーションの教科にするために

「自由」であるために


わたしの周りの女性たちの間では、姜尚中の人気が高い。いかにも頭がきれそうなシャープな顔立ちと落ち着き払ったあの低くて甘い美声が人気の秘密のようだ。
わたしは彼のそうしたスタイルはもちろんのこと、学者としてのセンスにも十分敬意を払ってきた。(わたしは一度だけある講演会でご本人をお見かけしたことがあるが、彼はテレビに出ているあの雰囲気のままで、やっぱりそんじょそこらの学者とは少し違ったオーラを放っていた。いま彼は一応、東大の先生ということになっているが、知り合いから聞いたところによると、東大の構内でも彼をつかまえることは難しいようだ。まぁそれぐらい多忙で、連絡のとれない身にあるらしい。東大でも特別なVIP待遇らしいのだが。)


わたしの専門は政治学ではないが、それでも彼の本は何冊か持って読んでいる。印象に残っているところでは『オリエンタリズムの彼方へ――近代文化批判』(岩波書店)、『在日』(講談社)あたりか。とても面白く、勉強になった。
しかし今回、虫虫でとりあげたいのは、ロングセラーとなっている『悩む力』集英社新書)。帯には彼の顔写真が使われている。(わたしの知り合いの女性は、版を重ねるごとに帯の顔写真が変わることをチェックしていて、2冊目、3冊目を買おうとしているみたい。いやぁ、すごい人気だね。)
この本については前々から気にはなっていたのだが、なんとなく買う機会がなく、本屋ではいつも並んでいる前を通り過ぎていた。そんな折り、ある学生がゼミ形式の授業でとりあげたいと言ってきて、それでわたしは慌てて読んだのだった。


読んでみると、なるほどとてもわかりやすい文体で、すうっと心に入ってくる。これなら売れる理由も納得だ。
姜は本書で自らの青春時代・読書体験を振り返りつつ、マックス・ウェーバー夏目漱石という2人の同時代人を取りあげ、今日的な9つの課題について、その対処法を提案している。ウェーバー漱石という組み合わせがなかなか面白いが、この2人は単に同時代人というだけでなく、ある意味「近代」という複雑怪奇な時代を引き受け、そして率先して悩み抜いた先人でもある。(わたしは姜の文章からあらめて今日の課題がやはり「近代」という時代に端を発していることを痛感した。だから「近代」=モダン/モダニズムを追究することはいまでも十二分に意味のあることと言える。)


その「近代」という時代が今日にもたらした最も厄介なプレゼント――9つのテーマの根本にあるもの――は、おそらく「自由」である。「不自由」なら困るけど、「自由」なら何も困る必要はないじゃないか、と思う人があるかもしれないが、ところがそう簡単にはいかない。
姜はそこらへんのことを「自由」が究極まで進むと、人は「よるべのなさ」を味わわねばならなくなると説明している。これは逆のことを考えるとわかりやすいだろう。たとえば、前近代的に「お前が信じるべき神はこれだ」とか、「この国ではすべて国王の取り決めに従え」と言われたほうが、人は案外気が楽なのである。なぜなら寸分も疑問の余地がないからだ。
ところが、死ぬのも生きるのも自由、自分で考えて決めなさいと言われると、人は急に不安になる。仕事も恋愛も自由。どんな職業についてもいいし、誰とつきあって結婚しても構わない。そうなると、わたしたちは否応なく自分というものに向きあわざるを得なくなる。自分の適性は何か? 自分が恋愛に求めているものは何か? このことが本書・第1章で扱われている「自我」の問題となり、「金」の問題(第2章)、「宗教」の問題(第5章)、「愛」の問題(第7章)へと連なっていく。


なかでもわたしには、第7章「「変わらぬ愛」はあるか」というテーマについての姜の考えが面白かった。姜は自分が実感していることとして、結局「愛には形がな」く、「愛のあり方は刻々と変わる」と断言する。
そして「私にとってこの人は何なのか?」と問うことは、問いかけ自体が間違っていて、相手と向かいあうときは、相手にとって自分が何なのかを考えるべきなのだと言う。だから彼の解釈においては「相手の問いかけに応える、あるいは応えようとする意欲がある、その限りにおいて、愛は成立している」ということになる。
「人の愛し方などという法則はなく、チェスの勝負と同じよう」に、わたしたちは「そのときそのときの配置を見ながら、最良と思える手を打っていく」しかない。それができなくなって「最終的に相手に対して遂行的になる意欲がまったくなくなったとき」、姜は「愛は終わる」と言う。


このように本書で展開される主張は、どれも背伸びしたものではなく、わたしたちの現実に根差した等身大の意見になっている。だから読んでいて、わかりやすいし、そのどれもが首肯できる。逆に言えば、結論的にはどれもこれも「平凡」に見えるのだが、それがかえって、わたしには新鮮に映った。
たとえば、姜は第1章「「私」とは何者か」では、「まじめに悩み、まじめに他者と向かいあう。そこに何らかの突破口があるのではないでしょうか」と述べているし、第2章「世の中すべて「金」なのか」では、「結局は漱石たちと同じように、できる範囲でお金を稼ぎ、できる範囲でお金を使い、心を失わないためのモラルを探りつつ、資本の論理の上を滑っていくしかない」と記述する。あらためて顧みれば、彼は当の問題から何ら結論めいたことを言ってないようにも思えるのだが、しかしそこにこそ彼の誠実さを見るべきなのだと思う。わたしは難しい専門用語でごまかしたりしない彼の態度と心意気に逆に一流の学者肌を感じる。


ただし、では彼が何のサジェッションもしていないかと言うと、決してそうではない。本書全体を貫いているキーワードは「相互承認」であろう。姜はところどころでこの言葉を使っている。
たとえば、人が働くのは「金」を得たいためだけではなく、「社会の中で、自分の存在を認められたい」からだ。人が恋愛するのもこのことと関わっているし、人に生きる力を与えているのも、この「相互承認」にある。

自我を保持していくためには、やはり他者とのつながりが必要なのです。相互承認の中でしか、人は生きられません。相互承認によってしか、自我はありえないのです。

当たり前と言えば、当たり前の結論だが、しかしやはりこの言葉はこれからの社会のキーワードになっていくだろう。


姜は最後に現代の閉塞感を打開するには、いろいろな意味で「突きぬける」必要があると言う。そしてそのためにこそ、若い人には大いに悩んでもらい、悩みの果てに突きぬけて「横着」になってほしい、「そんな新しい破壊力がないと、いまの日本は変わらない」と言う。
この意見にはわたしも大いに賛成だが、しかし普段若い学生に接している身からすると、いまの無気力で消極的な学生たちに「新しい破壊力」を直接に期待するのは、少々甘い考えではないかと思う。そこにはもうワンクッション、何か仕掛けが必要だろう。(と言って、わたしに別の妙案があるわけではないのだが、まぁ偶然にも教壇に立つことになった自分としては、教育という現場でやはり一手一手、最善の手を尽くしていくしかないのかなと思っている。)


姜の人気ぶりに比べると、自らヒール役を買って出ているように見えるのが宮台真司だ。
たしかに彼は頭がいい。(わたしは宮台にも一度会ったことがあるが、彼は90分の講演をほとんど何のメモも見ず見事に整然と喋りまくった。そのときはいやぁさすがだなあと思ったのだけれど……。)しかしやっぱりわたしはどうも好きになれないタイプだ。
と言うのも、彼にはぶっちゃけ過ぎるところがあるからだ。そしてそのぶっちゃけも真実をついていて当たっているだけにかえって厄介だ。(ここがまた彼が憎らしく見えるところである。もっとも彼自身の発言を信じるなら、彼は25歳から10年間以上、常時5人の女の子とつき合い、セックスをした女の子が100人をこえたというからモテル男ではあるらしいのだが……。)


実はわたしは姜の『悩む力』を読みながら、宮台真司『14歳からの社会学 これからの社会を生きる君に』世界文化社)を思い出していた。
女性に大人気の姜とナンパ師の宮台――まったくかけ離れた2人に見えるが、この2冊を並べてみると、2人は意外にもよく似たことを述べていることに気づく。
どこがどう似ているかは、あとで述べるとして、まずは『14歳からの社会学』をざっと紹介しておきたい。本書は、そのタイトルにもあるように、14歳の中学生に向けて書かれた社会学の入門書であり、生きにくい現代社会を生き抜くための指南書にもなっている。
宮台の見解は相変わらずぶっちゃけ過ぎていて、親としては少し抵抗を感じるかもしれないが、読みやすいわりに中身が濃く、中学生の参考書としてはよくできていると思う。(もちろん大人が読んでも十分役に立つ。)


では、具体的に宮台の真実をついたぶっちゃけぶりをいくつか披露しよう。(結構、腹が立つよ。気をつけてね。)
彼は、社会が豊かになっていくあいだはどの国でも「みんな仲よし」という教育がおこなわれていたと言う。でもそれがうまくいかなくなった今日、ほかの国では「みんな仲よし」という教育を早い段階でやめた。それなのに日本には未だにそれが残っている。
彼は現実では「「みんな仲よし」はあり得ない。仲よくできない他者たちとどうつき合うかについて、考えなくちゃいけない」、だから結局は「自分に必要な人間とだけ仲よくすればいい。自分に必要でない人間とは、「適当につき合えば」いいだけの話だ」と言い張る。
至極もっともだけれど、身も蓋もない言い方だけに心にグサッと突き刺さるものがある。


では次はどうだろうか。ぶっちゃけトーク、第2弾。
宮台は「仕事が向いていなかった」と言ってすぐに転職しようとする教え子に「向いた仕事じゃなかったっていうけど、そもそも君に向いた仕事なんてあるの? 会社が複数あったとしても、君程度の人にわざわざ『向いた仕事』の座席を用意してる会社なんてあるの?」と聞くそうだ。さぁ、どうだ。(やっぱり憎たらしいね。聞かれた方はなんてこたえたらいいんだろう。)
宮台はここから「仕事で自己実現」という考え方を捨てろと言う。もっとわかりやすく言い換えるなら、「これさえあれば十分」という考え方をして、割り切って仕事を探せということだ。
たしかに日本人は労働に「やりがい」とか「生きがい」とかを求めすぎる嫌いがある。会社は儲けるためにあるわけだから、儲けを度外視して社員に「生きがい」を与えるわけにはいかない。考えてみれば、当たり前のことだ。


こんな宮台と姜のどこが似ているのかと言うと、実は2人とも「自由」ということを思考の土台においているのだ。これは先にも書いたように「近代」が与えてくれた厄介なプレゼントである。この「自由」となんとか折り合いを付けていくことが、わたしたち現代人の課題だ。
宮台は、世の中のルールには2種類あると言う。「行為功利主義」と「規則功利主義」。「功利」というのは、人が「幸せ」になること。どんな「行為」をすれば、人が幸せになるかと考えるのが「行為功利主義」で、どんな規則が人々を幸せにするかと考えるのが「規則功利主義」である。この2つの考えは、しばしば対立する。


ルール的にはアウトだけど、そうすることでその人が幸せになるなら、例外的に認めてやりましょうというのが、「行為功利主義」の考え方である。
本書で挙げられている例で言えば、農作業をするのに線路を渡っていかなければならないお爺さんが、10年以上要求してもJRがなかなか踏切を作ってくれないので、ついには自分で踏切を作ったという事例である。
「行為功利主義」でいけば、それでお爺さんが幸せになったんだから、まぁ大目に見てやりましょうということになるが、「規則功利主義」ではこのお爺さんの行為は絶対に認められない。(2008年に起きたこの事件、実際のところは、威力業務妨害でお爺さんは逮捕された。)


昔は「行為功利主義」が結構認められたが、現代ではどんどん「規則功利主義」へシフトしつつある。(こう言うと、学校でも職場でも事細かにルールが定められていって、ありとあらゆる場所がだんだん窮屈になっている現状に気づく人も多いと思う。)わたしたちは「規則」でがんじがらめになって、ほとんど身動きがとれない状態に陥っている。
ではなぜそうなってしまったのか。ここには意外にもインターネットという背景がある。つまり一昔前までは、踏切を作ったお爺さんの「行為」は、ローカルな範囲で大目に見ることができたが、インターネットでそれを世界中に発信されてしまったら、次々と同じ行為に及ぶ者が現れ、それこそJRにとっては「業務」に支障がでてきてしまうのだ。だからネット時代では、ひとつの例外も許されない。したがって、必然的に今日の世界では「規則功利主義」の志向が強まっていく。


わたしたちは誰もが「自由」に生きたいと願う。しかし社会に生きている以上、ルールを順守しないわけにはいかない。そのバランスが難しい。
宮台は単に「自由」にふるまうだけじゃ、君は幸せになれないと言う。「人が幸せに生きる」ための条件として「尊厳」がある。「尊厳」とは、「自分がそこにいてもいいんだ、自分は生きていていいんだ、自分は他者に受け入れられる存在だ、と思えること」である。
「自由」が別の人の「自由」をおしのけないようにするには、ルールを調整することが大切だが、それだけでは足りない。ルールで「自由」を尊重するだけでは、みんなの「尊厳」を支えられないからだ。(これはキリスト教の国のイスラム教徒、イスラム教の国のキリスト教徒を想定すればわかりやすいだろう。ルールで信教の「自由」を認めたところで、その人が「尊厳」を得られなければ幸せを感じることはできない。)


そこで社会学では、みんなの「尊厳」を支えるには、「自由」と「多様性」の両方が必要だと考える。「自由」だけだと、多数派や強い人たちの色に社会が染まりすぎるためだ。
また逆に「尊厳値」が低ければ、人は他者の前で思い通りにふるまえない。つまり「自由」になれない。だから「自由」であるためには「尊厳」が必要になる。そしてその「尊厳」は、他者から「承認」される経験を必要とする。他者から「承認」された経験があるからこそ、人は「尊厳」を得られ、「自由」にふるまえるわけだ。
もうおわかりだろう。ここで宮台が言っていることは、姜が言っていた「相互承認」の考え方と重なっている。


人はひとりでは生きられない。わたしたちは他者とともにあることを自らの喜びと感じなければならない。そしてそれを社会システムとして構築すること、これが21世紀に生きる現代人の大きな課題だと思う。
わたしがやってみたいと思っている私塾もこのことに深く関わっている。


悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に

14歳からの社会学 ―これからの社会を生きる君に


¶本文を書いてから気づいたのだが、姜と宮台には共著『挑発する知―愛国とナショナリズムを問う』 (ちくま文庫) がある。わたしは未読だが、この2人ならきっと馬が合って、議論がはずむに違いない。

時を孕む少女

katakoi20082009-05-28



人生はなかなか思うようにならないもので、ここんとこ突発的なトラブルに巻き込まれてばかりいる。それで少々身も心も停滞気味だ。
それでも月日はめぐり、先へ先へとわたしを運んでいく。――わたしたちはそうした事態をただ「忙しい」のひと言で片付けてしまうけれど、もしかしたら本当は当たり前のように過ぎ去ってくれる時間というものにわたしたちは心から感謝すべきなのかもしれない。


先々週の16日(土)は、仕事で早朝から東京へ出掛けたついでに帰り際、渋谷Bunkamuraギャラリーで行われていた「少女幻想綺譚―その存在に関するオマージュ」を覗いてみた。
こぢんまりとした展覧会だったけれど、タイトル通り、宇野亜喜良金子國義四谷シモンなど総勢50余名の作家たちによって「少女」へのオマージュが惜しげもなく披露されていた。
場内は、思ったよりも賑わっていて少し窮屈だった。見に来ていたのは、若い人たちが多かったように思う。


先に名を挙げた3人の作品は、むろん大変な存在感で会場を圧倒していたが、私はそれらよりもむしろ佳嶋、千之ナイフ丸尾末広たちの小さな絵の方に魅了された。特に佳嶋の赤頭巾をモチーフとしたCGアートは素晴らしかった。
四谷シモンの500万する人形にはとても手が出せないけれど、佳嶋の作品は25,000円くらいで、これなら自分でも買えそうだと思った。(もっとも買ったところで、わたしには飾る部屋がないので今回は断念したけれど。でもいつか素敵な絵を飾れるような部屋で暮らしたいな。)


ところで人はなぜ「少女」という存在にこれほどまでに取り憑かれるのだろうか。
たとえば、かつてルイス・キャロルは自らの幻想の中にアリスという永遠の少女を創りあげ、世界的に有名になった、あの童話を紡いだ。一方、現代日本ではロリータファッションに身を包む生身の乙女たちが都市というテクストをせっせと昂進=更新している。


私の周りで「女はすぐに「少女」から大人へと成長してしまうから、男はその貴重なひとときに憑かれるんじゃない?」と提言してくれた人がいたが、男の側から言わせてもらうと、むしろ「子供」と「大人」というふうにはっきり割り切れないところにこそ「少女」というものの怪しさと魅力があるような気がする。
清らかさと危うさが乱雑に絡み合う存在。わたしたちは無意識のうちに「少女」のなかにそうした相矛盾する両義性を発見し、それをそのまま永遠に形象化しておきたいと願っているのではないだろうか。それは失われゆくひとときを惜しむ気持ちと言うより、行きつ戻りつ、その振幅の中で時間をたゆたう危うさとか可憐さと言ったほうが適当な気がするが、どうだろう。


残念ながら、わたしには妻に断りもせず、佳嶋の絵を買う勇気がなかったので、代わりに会場の片隅で販売されていた佐々木幹郎『人形記 日本人の遠い夢』淡交社)を買って帰った。(これは前々から欲しかった本だ。)
この本は、詩人である佐々木が「人形とは何か」という問いを抱え、カメラマン・大西成明とともにさまざまなトポスを旅した、その時々の記録であり、貴重なレポートとなっている。


「少女」のなかに潜む両義性が男心を(いや女心も)くすぐる仕掛けなのではないか、という私の仮説が大きく外れていなければ、「少女」には「人形」がよく似合う。
佐々木はその「人形」に憑かれた人で、本書には土偶・埴輪の時代からアキバ系美少女フィギュアまで実にさまざまな「人形」が取りあげられている。宇野亜喜良のギニョル(指人形)も四谷シモンの人形もちゃんと出てくる。写真も豊富に掲載されていて見た目にも楽しい。(あぁ、わたしもいつかこんな旅をしてみたい。)
ほかにも「手あやつり人形師」の12代目結城孫三郎とか、官能的で幻想的な人形をつくる辻村寿三郎のアトリエとか……どれもこれも興味をそそられる。
変わったところでは、ムットーニこと、武藤政彦の「からくり書物」=「お話玉手箱」というのも紹介されている。萩原朔太郎の「猫町」とか、夏目漱石の「漂流者」といった物語を「からくり人形」で表現したものだ。(わたしはこれをチラッとテレビで見たことがあったが、うん、ぜひとも本物を直に見てみたい。)


しかしなかでもわたしをもっともドギマギさせた人形は、竹久夢二の「少年」と「ピエロ」である。夢二人形というらしいのだが、現存するのはこの2体だけ。どちらも悲しげで薄幸そうな、あのなよなよとした夢二独特の美人画を想わせる。
夢二の絵にはたいてい詞書きがつく。たとえば、有名な「宵待草」はこんな感じ。

まてどくらせどこぬひとを
宵待草のやるせなさ
こよいは月も出ぬそうな。

夢二にとって絵は詩そのものであった。
詩人の秋山清は「来たものは必ず行く。行ってしまった後のはかなさよりもまだ来ないものをまちつづける期待の方が、はるかに耐えるに価する。夢二はそのような怖れと期待につつまれたアンニュイのなかに、過去と未来への夢をもちつづけた人ではなかったか」と述べる。
もしかしたら、わたしたちは「しあわせ」というものを簡単に手に入れてはいけないのかもしれない。ゴールの一歩手前で未完であり続けること。そこに悲しみと美しさが同居する。「少女」が内包する魅力もこのことと関わっているような気がする。


それにしても夢二の「少年」には、驚かされる。だって、夢二は肌色の布をなんと顔の正面で縫い合わせているのだ。その絶妙な痛々しさと愛らしさ。(書店で本書を見かけたら、ぜひ86頁だけでもいいから開いてみてほしい。)
画家であり、詩人であり、イラストレーターであり、商業デザイナーであり、そして人形作家でもあった竹久夢二。いつかまた機会があったら、そのマルチなタレントを追いかけてみたいと思う。


人形は「ひとがた」とも読み、日本人はそれを人間の身代わりとする風習を育んできた。そこには折口信夫が指摘する「産霊」(むすび)の信仰が与っている。「むすぶ」とは「元来、或内容のあるものを外部に逸脱しない様にした外的な形」を意味する。そして佐々木幹郎は、次のように言う。

人形を「ひとがた」と言い、人間の身代わりだとしてきた日本人の発想には、「生命のない物質の中へ」魂を入れると、その魂が発育し、物質である容器も育ってくる、という「産霊」の信仰がもたらした根強い宗教観が示されている、と見ることができる。

「生命」を産み出す女性が「人形」のモチーフになることが多かったのも、これで少しは理解できよう。
そこに夢二的「時間」感覚が加わると、両義的でやるせない「少女」の魅力が浮上してくるのかもしれない。


人形記―日本人の遠い夢

人形記―日本人の遠い夢


¶「少女」については、なんと言っても澁澤龍彦の『少女コレクション序説』(中公文庫)を繙かれたい。澁澤は「少女」という存在に「物体」性を指摘している。だから「少女愛」は「物体愛」でもあるわけで、そこに男どもの蒐集癖の根拠も披瀝されている。


少女コレクション序説 (中公文庫)

少女コレクション序説 (中公文庫)

大人のためのMANGA

katakoi20082009-05-21



「漫画」を「MANGA」と表記すること、「MANGA」に「大人のための」と注釈すること――これらをあらためて説明する必要性はないだろう。
日本の「漫画」は今や世界の「MANGA」となり、その「MANGA」を大人たちが熱心に読み耽っている姿はさして珍しいものではなくなった。


もう先々週の話になってしまうが、9日の土曜日は久しぶりに家族で東京行きのバスに乗って「MANGA」に関わる2つのイベントに足を運んだ。(ただ残念ながら、5才になる息子は風邪気味だったせいか、途中でお腹が痛くなり、午前中のみで家に帰ってしまったのだが……。まだ東京の人混みに慣れないのかなぁ。)


最初に足を運んだのは、東京・大丸ミュージアムで行われていたムーミン展」
ムーミンと言えば、日本ではアニメでお馴染みだが、今回はアニメではなく、原作者トーベ・ヤンソンのオリジナル原画・スケッチなど約170点が展示され、フィンランドタンペレ市にあるムーミン谷博物館所蔵の立体模型も初公開された。(ただし、これまで門外不出だったらしいこの立体模型は、たいして感動を誘うものではなかった。やはりヤンソンの原画の方が数倍、数十倍も素晴らしかった!)


作者のトーベ・マリカ・ヤンソンは、1914年、彫刻家の父ヴィクトルと挿絵画家の母シグネの第1子として、ヘルシンキで生まれた。家庭の共通語は、両親の出自からスウェーデン語であったと言う。この言語的少数派(全人口の約6パーセント)ということが彼女の紡ぎ出すパラレルワールド――ムーミンの物語世界に深く影響を与えていることは間違いない。


1945年に刊行されたムーミンシリーズの第1作「小さなトロールと大きな洪水」は、ムーミンママとムーミントロールが、行方不明のパパを探す物語である。艱難辛苦をのりこえて、最終的にはママとトロールはパパとの再会を果たすのだが、しかしヤンソンの描く世界は、ハッピーエンドという感じからは遠く、いつもどこか寂しい。


わたしはこのシリーズのなかでは、ムーミンパパ、スナフキン、ニョロニョロなどのキャラクターが大好きなのだが、これらに共通するのは、さすらいというか、彷徨というか、そんな性格であろう。
ムーミンパパはいつもどこかで冒険を求めている(時に息子のムーミンよりも少年らしい行動に出る!)し、スナフキンは「自由と孤独を愛する旅人」で、冬になるとムーミン谷を旅立ち、春になると帰ってくる。彼はムーミンとは親友だが、あえてひとりになって孤独の時間を作ることもある。またニョロニョロは雷の電気がエネルギーの不思議な生き物で、ひとこともしゃべらずに世界中を放浪している。


こうした静謐でもの悲しいムーミン谷の雰囲気は、シリーズの挿絵にもよくあらわれている。ヤンソンは、物語だけでなく、自身で挿絵も描く希有な作家であった。彼女は桟橋にひとり佇むムーミンとか、雨に打たれるミイとか、枯れ葉舞う風の中を歩くスナフキンとか、とりわけキャラクターたちの後ろ姿を小さく、小さく描いている。そのどれもがウェットなのだ。
ヤンソンは、挿絵は物語を制限するものではなく、物語の世界をより豊かにし、読者の想像力を羽ばたかせるものだと考えていた。そして「よい芸術家になるには百年かかる」というのが、彼女の口癖だったらしい。(ここらへん、前回ブログで書いたまど・みちおに通じるものがあるね。)残念ながら、ヤンソンは86才で亡くなってしまうのだが……。


1970年、9冊目のムーミンを発表して以来、彼女は「子ども向け」の作品を発表していない。世間では「10冊目のムーミン」を待ち望む声もあったが、ヤンソンはもうムーミンを書かないときっぱり断言していたらしい。
最後のムーミン物語を発表した1970年は、ムーミンママのモデルであった母シグネが他界した年でもある。冨原真弓は「愛する母の死とともに、トーベ・ヤンソンは「しあわせな子ども時代」とその象徴であるムーミン谷に別れを告げたのではないか」と書いている。(いつもやさしくトロールを受け入れるムーミンママの大きな包容力には、切ないまでの愛が滲んでいて、わたしなんかは本当にいつもウッとなって、涙を誘われる。)
もっとも1954年から描かれたムーミンの連載漫画は、ロンドンの夕刊紙『イブニング・ニューズ』をそもそもの発表媒体としており、このことからもムーミンは単なる子ども向けのファンタジーではなく、当初から大人向けを意識した物語でもあったことが窺われる。


正直に言うと、わたしはムーミンのアニメを見たことはあるが、原作の物語をきちんと読んだことがないので、いつか機会があったら、じっくりと読み、その世界に浸ってみたい。そしてヤンソンの寂しさ・悲しみの秘密をもっともっと探ってみたい。
きっと日本の童話の世界にも通じるものがあるのではないかと思う。


午後からは場所をお茶の水に移して、明治大学・国際日本学部開催のシンポジウムメビウス×浦沢直樹夏目房之介 描線がつなぐヨーロッパと日本」を聴講した。
入場無料ということもあって、1,000人以上入れるという明治大学駿河台校舎のアカデミーホールも超満員の混雑ぶりだった。(1時間も前に行ったのに、わたしの整理券は806番であやうく入れなくなるところだった。ホント「MANGA」の人気ぶりはスゴイね。)


ところでフランスの漫画家・メビウス(本名:ジャン・ジロー)を知っている若者はどれくらいいるのだろうか。意外に少ないのではないか。(ちなみにわたしが教えている学校でメビウスを知っていた学生は皆無だった。)
日本の「漫画」は今や「MANGA」となり、世界に発信されているが、逆に海外の漫画事情は日本にあまり入ってきていない。これは今回のゲストでもある夏目房之介がよく言っていることだが、「漫画」は決して日本の専売特許ではなく、海外からの影響を相当に受けているメディアなのである。このことをよくよく弁えておかないと、すぐに足もとをすくわれる。(漢字の読めない漫画オタクのあの人は、もう完全に足もとをすくわれているようだが。)


そこでメビウスとは何者なのか、という話になるのだが、その前にフランスの漫画事情について、簡単に説明しておきたい。
近年、ユーロでも「MANGA」という言葉はすっかり定着しているらしいが、もともとフランスとベルギーを中心としたフランス語圏の漫画は「バンド・デシネ」(略してベーデーBD)と呼ばれていた。「バンド・デシネ」とは「絵が描かれた帯」というほどの意味で、英語の「Comic Strip」に由来する言葉である。その「バンド・デシネ」は、日本の「漫画」とは違って一般にアルバムと呼ばれるA4判より少し大きいハードカバーの単行本で描きおろされる。
「バンド・デシネ」の歴史は、19世紀の前半から半ばにかけて活躍したスイスの教育者ロドルフ・トップフェールの版画文学にはじまるとされ、1920年代にはクリストフ、ジャン=ピエール・パンション、ルイ・フォルトン、アラン=サン・トガンなどの今とほとんど変わらない重要な作品が次々と生み出された。そして1960年代には、フランスのベーデー界は、カウンター・カルチャーと連動し、ますます活気を帯び始める。80年代には、出版不況と相俟ってベーデー産業自体がやや下火になってしまうが、90年代になると、小出版社によるオルタナティヴ系の「バンド・デシネ」が再び復活してくる。


「バンド・デシネ」の魅力は、なんと言っても、日本の「漫画」にはないフルカラーの色彩の豊かさ(その贅沢な作り!)とまるでアート作品であるかのような線描の美しさにある。
70年代から活躍しはじめるメビウスは、子ども向けの漫画雑誌と大人向けの画集(アートデッサン)をつなげるという意識のもと自らの作品を描いていった。そこにちょうど自分の欲求と市場の要求が重なった。


今回のゲストのひとり漫画家の浦沢直樹は、メビウスの描く線には一切の無駄がないと言う。(浦沢はメビウスの大ファンと言うより、彼のような画を描きたいという一心で漫画家になったらしい。)また夏目房之介は、メビウスは記号的な漫画の描き方をアートにつなげた先駆者と見る。
日本の漫画界には、浦沢直樹だけでなく、実際のところメビウスファンが相当にいるようで、ほかにもたとえば宮崎駿鳥山明大友克洋などが描く画には、メビウスの影響が色濃く見てとれる。メビウスの描く画には、巨大な岩が空中にぽっかりと浮かんでいるような重力を感じさせない、浮遊感のようなものが漂っているのだが、これはそのまま「ナウシカ」の風の世界であり、「Dr.スランプ」のクラッシックなメカ、「AKIRA」の近未来都市の光景につながっている。いやいや逆だ。日本の漫画家たちが、メビウスの世界をそっくりそのまま模倣したのだ。日本漫画界のパイオニア、あの手塚治虫も雲の描き方を「メビウス雲」などと言って、アシスタントに指示していたという。


メビウスという漫画家は、それほどに世界が注目するアーティストなのである。夏目房之介は、彼の漫画に「絵の思想」と呼びたくなるような、線をこえていく「自由」を感じると言う。
会場には、ほかにも永井豪谷口ジロー荒木飛呂彦といった錚々たるメンバーが駆けつけていた。
今月の末には、ラフスケッチも下描きもせず一発描きで、しかも修正ひとつ入れずに仕上げたというメビウスの奇跡の絵物語飛鳥新社から発売されるそうだ。メビウスの画をまだ見たことがないという人は、ぜひ書店で手にし、その「神業」に酔いしれてほしい。(あ、ビニールがかかっちゃうか。ま、表紙だけでも見る価値ありだ。)


会場では浦沢直樹メビウスが実際に画を描くパフォーマンスも見せてくれ、漫画家が線を描く瞬間を目撃することができた。
2人ともとてもうまい技量のある作家だから、ものの2〜3分で見事な画が仕上がっていく。その息づかいを目の当たりにし、この日はとても幸せなひとときを実感した。
これを機に少し「MANGA」を本格的に勉強してみようと思う。


ムーミンについては、冨原真弓が精力的に研究している。筑摩書房からは『ムーミン谷のひみつ』が文庫本で出ている。漫画学については、夏目房之介のほかに四方田犬彦清水勲などの本が入門書になりそうだ。


ムーミン谷のひみつ (ちくま文庫)

ムーミン谷のひみつ (ちくま文庫)

漫画原論 (ちくま学芸文庫)

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図説 漫画の歴史 (ふくろうの本)

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