サーカスの魅力


ブログも更新しよう更新しようと思いつつ、ついに1ヶ月以上経ってしまった。


別に薬をやって頭が朦朧としていたわけでも全裸で死んでいたわけでもないが、あまりにも職場で馬鹿馬鹿しい雑用が多くて、ふてくされていたのである。そうプツンと切れていたのである。


と言っても、何も1ヶ月間ずっとサボっていたわけではなく、それなりにあちこちと出掛け、自分なりの学びは続けていた。追々、そんな報告もしていきたいと思う。


で、今回はリハビリ的に軽めの話題。


先週の土曜日は、待ちに待ったサーカスの日だった。私はふだん忙しくてめったに家族と遊びに行けないが、この日は久しぶりに一家そろって横浜までドライブした。
息子にはいろんな舞台を見せてやりたいと思っているが、その最初としてサーカスは打って付けだった。
実はつい先日38になったばかりの私もサーカスは今回が初めてだったのだが、すこぶる魅了された。出だしから泣きそうになった。


一見すると、華美なあのサーカスの背後には、しかしどこか物悲しい雰囲気が漂っている。ピエロはいつもにこやかでありながら、ちょっと怖いオーラも持っている。(うちの息子は事実、初めて見るピエロにすごく怯えていた。ショーが始まったあとでは大笑いしていたけれど。)
その他、舞台では馬が走り回るウェスタンもあれば、妖艶な東洋の美女も登場した。また獰猛なクマが芸を見せれば、犬たちは観客の笑いを誘う。


オモチャ箱をひっくりかえしたような、このなんでもありのいかがわしい感じは、私に中原中也よりも寺山修司を思い出せた。(文学者がサーカスに惹かれるのも納得だ。)いやいや、それでいてロシアの気怠い知的な匂いも場内に充満していて、実によかった。


サーカスは大人も子どもも楽しめる見世物だ。
現代社会は、いつのまにかこうしたいかがわしさやまがい物くささを忌み嫌うようになった。それが社会をいよいよつまらなくさせ、私をますます不快にさせる。私がふてくされる原因だ。


偽物、三流、大いに結構。世の大人たちは、もっと子どもたちが怯えるようないかがわしさを放つべきなんだと思う。(押○くんはどうかと思うけど、今の政治家たちはなぜあんなにクリーンを売り物にするのだろう?)
でもでも、いかがわしさを醸し出すには、目に見えぬ相当な努力が必要だろうね。


サーカスのあの華やかなステージの裏には、それこそ血の滲むような訓練があるのだと思う。場内ではカウボーイたちがふるう鞭がビシッ、ビシッと鳴って、幾度も響き渡っていた。