アートフルワンダーランド


今週は本屋で通りすがって、思わず釘付けになった2冊の本を紹介したい。(あぁ虫虫するのも久しぶりだなぁ。面目ないなぁ。)


1冊は、にしのあきひろDr.インクの星空キネマ幻冬舎)。にしのあきひろとは、漫才コンビキングコング」の、あの西野亮廣である。
本書は、しかしお笑い系の本ではない。表紙を見てもらえばわかるように、細密線描画による大人向きの絵本である。絵と文をにしの自身が書(描)いている。
わたしはこの本を目撃していっぺんに彼の絵の虜になってしまった。(帯にはタモリの推薦の言葉もある。)紙面を尽くす震えるような細かな線。にしのはこの本を完成させるのに、5年の歳月をかけたそうだが、それも肯ける線の細さである。(わたしは、なぜかこういう線描画に異常に惹かれるのだ。)


本書には、4つの短いお話が載っている。
最初は絵は凄いが、お話は「まぁそれほどでもないかなぁ」と高を括っていた。が、読み進めていくうちに本書の仕掛け、にしのの企みがわかってきた。つまり「ネコ」が「少女」で、「少女」は「サンポーニャ」なのだ。そしてたぶん「トキオ」は「東京」なのである。
これではなんのことだか、さっぱりわからないだろうけれど、物語の種明かしはしないでおこう。(気になる人は、ぜひ本書をひらいて確かめてみてほしい。すぐに理解できるはずだ。うーむ、こういう綴り方もあるんだね。)これはやっぱり本人が絵も手掛けているからなせる技だ。


にしのの絵はたぶん未来のお話なんだろうけれど、でもどこかなつかしい。わたしはそこに惹かれたのかもしれない。
にしの本人は、この本は「子供の頃のボクへのアンサーブック」だと言う。どうして夢を見るのか? 流れ星はなんで流れているのか? そんな子供の頃の疑問に大人になったボクが出した答え。それが本書の物語なのである。
だからわたしは、どのページを見てもなつかしさを感じるのかもしれない。にしのあきひろ……なかなかどうして、たいしたアーティストである。


さてもう1冊は、エルンスト・ヘッケル『生物の驚異的な形』(河出書房)。
これもふだんは立ち寄ることのない小さな本屋で、バスの待ち時間があったため、たまたま見つけた本だ。偶然手にとり、たちまちに魅了されてしまった。(帯には荒俣宏が推薦の言葉を寄せている。)


著者のエルント・ヘッケルは1834年プロシアに生まれた。彼は最初医学を学ぶが、高名な生理学者ヨハネス・ミュラーの教えを受け、海洋生物学に目覚める。そして次第に彼は自然の持つ無尽蔵な豊かさとその美しさ、形というものの魅力に取り憑かれてゆく。
ヘッケルは20代の頃、風景画家になるか科学者になるかで迷っていたらしいが(人生にはそういう岐路がつきものだ。M君、ファイト!)、自然に魅了されてからは科学の道を選んだ。


生物学者としてのヘッケルは、系統発生的分類に没頭し、一元論に執着した。その立場からダーウィンの進化論を断固として認め、カントのアプリオリな理性に反論した。
門外漢のわたしには、彼の生物学者としての業績を云々する資格はないが、ぜひ一度手にとって見てほしいのは、彼の系統樹のデザインである。これは一見に値する。さすがに画家を目指していただけのことはある。そこには生物学を超えた地球史的世界観が絶妙に表現されている。


本書は植物や昆虫、クラゲなど、ヘッケルが描いた精密な生物画の図版集である。その精緻なスケッチと幾何学的な文様、彩色の鮮やかさは、息をのむほどに美しい。
ヘッケルの描く絵は、科学的でありながら、もはやアートの域に達している。事実、彼のスケッチは当時のアール・ヌーヴォーと共鳴し、多くの芸術家たちに影響を与えた。建築家のルネ・ビネは、1900年のパリ万国博覧会でヘッケルの放散虫の絵をモデルに入場門の設計デザインを考案している。
そういった意味で、ヘッケルは紛れもなく科学と芸術をつなぐ知の仲介者だった。彼は「形態」というものにモノの「本質」を見出し、さらにそこに「精神」までも看破した。彼にとって、生物形態の系統発生論は同時に精神の系統発生論なのである。自然について知ることは、自然の美を知ることにほかならなかった。


わたしは、にしのの絵を見て、すぐにヘッケルを思い出した。絵のタッチが似ているということだけでなく、モチーフ自体が類似しているように思われたのだ。
『Dr.インク…』にはクラゲのようなキャラが宇宙を漂っているし、だいたい「Dr.インク」自身がタコのような形姿(フィギュア)なのだ。にしのの絵のなつかしさは、もしかして子供の頃の記憶をうんと遡って、わたしたちの生物としての記憶にまで関わっているのではないだろうか。


虫や植物、魚や菌類など、目を食い入るように観察すると(実際には顕微鏡を使って)、その形からわたしたちが忘れていた記憶が呼び起こされるのかもしれない。
大人になってしまうと、なぜか触るのを躊躇するけれど、そう言えば、子供の頃はおたまじゃくしや蛙、トンボ、トカゲなどを平気でつかまえ、間近に見入っていたっけ。(臆病な我が息子はまだ虫をつかまえられないが……。)
ヘッケルは夥しい時間を費やして1枚の細密画を完成させる。その過程で、あらためて不可思議な自然の造形美を触知する。


現代に生きるわたしたちは、あまりにも科学的な後ろ盾を信頼しすぎていて、その美しさを感知する術をすっかり忘れてしまった。
科学と芸術――この両者のつながりを2冊の書物、その細密な陰影の奥に感得しておきたい。


Dr.インクの星空キネマ

Dr.インクの星空キネマ

生物の驚異的な形

生物の驚異的な形