「リズム」のある学校

katakoi20082009-09-04



先月の8月27日(木)は、休暇をとり、千葉NHK文化センターで行われたシュタイナー教育体験教室に参加した。実はその前にも9日(日)には、長南町の「あしたの国」で夏のオープンデーがあって、こちらには妻と2人で参加したのだった。
(来年度からいよいよ息子が小学校にあがるので、親としてはいろいろな可能性を求めて、できる限りあちこちのイベントに参加して、悔いのないようまずは自分が体験してみようという魂胆である。)


シュタイナー学校では、毎朝午前中に2時間弱のメインレッスンがある。学校によっては、「エポック授業」などと呼んでいる。国語なら国語、算数なら算数と毎朝2時間、1ヶ月間ぶっ続けで勉強する。だから今日の授業は昨日の続きで、その今日は明日へとつながっていく。
1教科だけ1ヶ月も続けたら、前月にやっていた授業内容をすっかり忘れてしまうではないか、という批判の声が聞こえてきそうだが、シュタイナーは忘れることも大切だと言っている。行きつ戻りつ、繰り返し学びなおすことこそが、人間にとってはとても大切な営みで、だからむしろ忘れる期間を設けたほうがいい。「学ぶ」ということは、「想起」するということにほかならない。(ちなみにプラトンは「想起」とは「頭のなかに書かれた絵を見ることだ」と述べているそうだ。)


今回の体験教室は、S先生による2年生の模擬授業だった。カタカナを学ぶ国語の授業である。(ちなみにうちの息子は5才にもなるのに、未だにほとんど文字が書けない。カタカナどころか、ひらがなもままならない。まぁなるべくなら音の世界に長く生きさせたいと思って、あまり真剣に教えてこなかった自分のせいなのだが……。)
2時間にも及ぶ「エポック授業」は、大きく分けて三段階に構成されている。(もっともこれは模擬授業が終わってから、教えられたことだが。)最初は身体を使ったリズム遊び。かごめかごめやハンカチ落としなど、昔の子ども遊びやゲームをして楽しむ。しかしただワーッと騒いでいるだけではない。時には耳を澄ましたり、小声でお話ししたり、あるいはピタッと動きを止めたりして、徐々に「動」から「静」へ、遊びの質を移行していく。この流れの中で子どもたちは自ずと集中力を高めていく。そうしていよいよ「エポック授業」のメインレッスンに入っていくのである。


今回は「ワニ」というカタカナを習う。と言っても、先生が黒板にお手本を書いて、それを子どもたちがノートにうつすわけではない。先生がおとぎ話をしながら、少しずつその内容を絵にしていくのだ。絵を描きながら、そこに文字を浮かび上がらせていく。(なんともプラトン的! 冒頭の写真はそのとき私が描いた下手くそな絵である。)
「ワ」というのは、開放的な明るい音なので口を大きく開けた部分に、「ニ」というのは、少し口を横に広げて発音する言葉なので地面すれすれのワニのお腹に記す。シュタイナー学校では、強引に「絵」のなかに「文字」を書き込むのではなく、その「文字」が持っている音のイメージと「絵」を組み合わせて覚えさせるのである。だから先生が違えば、「ワ」・「ニ」は違う「絵」になり、教え方も変わる。そもそも「ワ」と「ニ」の組み合わせではないかもしれない。(ちなみにこの「文字」のもつイメージを身体で表現したのが、あの「オイリュトミー」のダンスになる。)


こうして一枚の「絵」を描きながら、「ワ」・「ニ」という文字を習い、本日のメインレッスンは終盤を迎え、最後は先生のお話しの時間に移っていく。
今回はふだん実際にお話しされているなかから、弘法大師空海のお話が語られた。(あとで聞くと、これはS先生がいろんな本を読んでつくられたオリジナルの話だったらしい。それをやはり1ヶ月間かけて毎日少しずつ、空海の人生を子どもたちに紹介していくそうだ。ここのとろこで私は宮沢賢治を「想起」した。賢治が花巻農学校で行っていたことは、かなりシュタイナー思想に似通っている。もっとも東京には「賢治の学校」というのがすでに存在しているのだが。)S先生は、もともと哲学を勉強されていてご自身、空海が好きで生涯のテーマとしてずっと研究してこられたそうだ。(それを小学校2年生で教えてしまうとは、なんともスゴイことですねぇ。)


以上の流れですでにお気づきだと思うが、シュタイナー学校では「リズム」ということをとても重視する。2時間の授業のリズム、一日のリズム、1ヶ月のリズム、1年のリズム……である。(授業時間数さえ確保すればいいという単純な発想ではないのだ。いつどこでどのタイミングで何を教えるのか、シュタイナー学校ではこれに細心の注意を払う。)
9日のオープンデーでは、Y先生による講演「明日に向かう力の育て方」が行われたのだが、そのなかでもやはり「リズム」が強調されていた。「明日に向かう力」とは、どんな困難に遭遇してもともかく前に進んでいこうとする強い「意志の力」である。


シュタイナー学校では、これを育むことを第一の目標とするが、シュタイナーは、この「意志の力」は外から直接与えることはできないと言う。では、どうするか? それは寄せてはひく波のように、ドキドキと打つ鼓動のように、清々しい山の中で放つ呼吸のように……日々の授業の中で「繰り返す」ということを心身に刻むことである。
その「繰り返し」こそが「リズム」である。そしてその「リズム」を体得するには、「自然」の大きな力を感知しなければならない。「自然」は、日の出と日の入り、眠りと目覚め、毎日の食事など「リズム」の宝庫である。「リズム」のない「自然」はないと言ってもいいだろう。植物の葉っぱにもよく見ると葉脈が浮かんで「リズム」があるし、蝶の羽の模様にも「リズム」がある。蜘蛛の巣のあの網にも「リズム」があって美しい。


Y先生は、子どもたちにやる気を起こさせる方法として、以下の4つを教えてくれた。(いずれも今の学校が忘れていることだ。)

1 子どもたちに繰り返しの快感を覚えさせること。
2 ときにはこちらのやり方を変えてみること。
3 子どもたちをしっかりとほめてあげること。
4 子どもたちがその気になること。

最後の「その気になる」とは、子どもたちの「まねる力」「模倣力」のこと。
子どもたちはものまねの天才だ。まねてほしくないところばかり、すぐまねる。(まぁそれが「まねぶ」(学ぶ)ということなのだが。日本語はうまくできてるね。)
だから「こういう子に育ってほしい」という願望があれば、まずは親がそれを実践すればよい。教師がそれを行えばいい。簡単なことだ。「あいさつのできる子」になってほしければ、まずは親が大きな声で近所の人にあいさつしてみることだ。本をよく読んでほしいと思えば、自分が懸命に読書をしてみせることだ。
親や教師は、自分を棚に上げて子どもを責める。これではいっこうに埒があかない。


S先生の体験教室では、「教師はお芝居の役者である」というアドバイスが参考になった。だから授業はお芝居の舞台。
教師は「今日はこうしよう」とある程度、ストーリーを頭に入れて教壇に立つが、しかしその日の観客(子どもたち)の反応を見ながら、アドリブで台本をマイナーチェンジしていく。話を聞かない子どもがいたら、お芝居の雰囲気を壊さないように軌道修正し、芝居の世界に引きずり込む。そしてそのうちに子どもたち自身が周りとの関係から自分に与えられた役割を見つけるように仕向けていく。つまりどの子どもたちもかけがえのない役者の一人というわけだ。
シュタイナー学校では、手をつないだり、一緒に歌を歌ったりするなかで一人一人の子どもにそのことを気づかせていく。(低学年ではうまくいかないこともあるようだが。うちの子は大丈夫かなぁ?)


なんだか息子のために体験教室に行っているのか、自分の勉強のために行っているのか、だんだんわからなくなってきたが、模擬授業ではS先生の次の言葉がとても印象に残った。たぶんいつものクセでつい言ってしまったのだろう。それは「ゆっくりやることはとてもいいことだよ。だから早めに終わった人は、まだ終わっていない人の邪魔をしないようにね」という言葉である。
普通の小学校では、なかなかこうは言えないんじゃないだろうか。世の中のスピードにあわせて、「早くやりなさい!」「君だけ遅れているよ!」「なにモタモタしてんのっ!」と言うことはあったとしても。


いやぁシュタイナー学校は、勉強になるなぁ。(あっ! 自分がダメ教師なだけか。)


¶シュタイナー関係では、最近では雁屋哲シドニー子育て記』(遊幻舎)を読んだ。雁屋哲は、マンガ「美味しんぼ」の原作者。東大を卒業した秀才でもあるが、子どもたちには自分が経験したような日本の教育を受けさせたくないと思い、オーストラリアに脱出。そこで偶然にもグレネオンというシュタイナー学校に出会う。
親の立場からシュタイナー学校の実際について書かれた本で、とてもわかりやすく参考になった。私は途中、泣きそうになった。(いや、少し泣いたかな?)


シドニー子育て記―シュタイナー教育との出会い

シドニー子育て記―シュタイナー教育との出会い