乳房と読書


乳房は私の掌の形をしている……と、私のノートには綴られている。
続きはこうだ。
乳房は掌のために造られた
掌は乳房のために造られた


ノートというのは、私の「読書ノート」のことで、これらの言葉は私自身の言葉ではない。堀口大学の詩の一節だ。
伴田良輔の写真集『BREASTS』朝日出版社)の帯に引用されているのを本屋で見かけ、妙に気に入って、高かったけれど勢いで買ってしまったのである。(まぁこの本については、前々から新聞広告で知って気にはなっていたのだが……。)


堀口の詩の言葉は、エロティックなだけでなく、ギブソンアフォーダンスやユクスキュルの環境世界を想起させて面白い。(恥ずかしながら、堀口大学がこんな洒落た詩を書いているなんて全然知らなかった。)


『BREASTS』については、また後で触れるとして、なぜ私がこんな言葉をノートに書き綴ったかというと、奥野宣之『読書は1冊のノートにまとめなさい』Nanaブックス)を実践するためだ。(その最初が「乳房」というのもどうかと思うが。)
読書ノートや引用ノートの類は、もちろんこれまでにも試したことがないわけではない。が、なかなか長続きしない。その理由は次第に面倒くさくなるからで、さらにのちのちあまり役に立たないからだ。これではノートをつける意味がない。


奥野の本書は、面倒くさいという点とのちのち役に立たないという、この2点を見事に解決する、非常にシンプルな「読書ノート」実践法を提示している。その方法は●と☆を使用する。実に簡単だ。
●は、自分にとって重要な本の内容を書き出す記号。つまりは本文の引用部分。そして引用・抜き書きしたら、ノートのそのすぐ下の欄に☆をつけ、そこで発生した「自分の考え」を書きとめておく。実にこれだけである。引用したい箇所がなければ、☆1つで本全体の感想を1行ですませてもよい。
奥野は、大事なのは形式にあまりこだわらないことだと言う。これなら少し長く続けられそうだ。


私はある理由からこの手の勉強本は最近は遠ざけてきたのだけれど、本屋でざっと目を通してみると、ところどころいいことが書いてある。それでちょっと浮気心を出して、読んでみる気になった。
たとえば、こんなところである。
考えというものは必ず何らかの刺激に対するレスポンスなのです。(p110)
この箇所は、私のノートでは当然●がついている。そしてその下に「☆反応のよい身体、心にしておけば考え(アイディア)は浮かぶということだ」と記してみた。
読書によって頭が反応するだけでなく、嗅覚や触覚、皮膚感覚など、もっともっと全身の感覚を敏感にしておくことが勉強では大事だと私は近頃つくづく感じている。(だから文学研究と言えど、たまにはその作家のふるさとを訪ねてみることも必要だ。「空気」とか「水」を感じると言えばいいだろうか。)


話が少し横道にそれたが、まぁざっと先の●について、以上のようなことが頭を過ぎったのである。
そんなことをチョッチョッとメモしておくのが、奥野式の「読書ノート」である。奥野によると、作家の井上ひさしは、こんなノートが1年に5〜6冊になるそうだ。(あれだけの読書家、記憶の天才でもちゃんとノートをつけているんだね。)
本書では、ほかにも●をつけて抜き出したところがあるのだけれど、逐一ではキリがないので、あと1箇所だけ引用しておこう。
情報がいくらあっても、アウトプットをやらないと体系的な知識にはならないわけです。/つまり、人はよく知っているからしゃべったり本を書いたりできるのではなく、講演したり文章を書いたりするから、より高度に「知る」ことができる。(p121)
この箇所の私の☆は「これ、授業にあてはめたい」だ。


先日、私は身体に障害を持つ学生と話していて、このインプットとアウトプットの関係について、おおいに考えさせられることがあった。
INとOUTの関係をわたしたちは往々にして誤解しているところがある。むしろ逆に発想した方がいいことが多い。人は決してINしたからOUTできるのではなく、OUTしたからINできるとか、OUTしつつINすると考えた方が現実にあっているのだと思う。
先の●は、ここらへんの私の経験と通底したから●になったわけだ。


で、話はもとに戻って、奥野式「読書ノート」に切り替え、栄えある1冊目が伴田良輔の『BREASTS』だったというわけである。
伴田良輔は今、私がもっとも気になる人物のひとりで、エロティックな評論だけでなく、本書のような写真も手掛け、さらには数学のパズルもこなすというマルチタレントである。(私はこういう人に憧れる。)


本書は、タイトルからわかるように、一般からモデルを募集して撮った「乳房」の写真集である。モデルはおもに20〜30代の女性で、実に艶めかしい。写真はカラーもあれば、モノクロもある。
写真の載っている反対側のページに、ところどころ先に●した堀口大学やあるいは与謝野晶子佐藤春夫などの詩句が挿入されている。その言葉と写真が絶妙にマッチしていて、それが本書に奥行きを与えている。


写真集だからあまり引用する言葉はないけれど、それでも何カ所か、私は●で抜き書きした。
重力と浮力の拮抗によって乳房の形は決まります。浮力とは乳房そのものの持つ力です。重力と浮力の拮抗が、乳房の下半分に円の一部である円弧を形成します。ぼくは乳房を撮影するとき、この円弧にみとれていることがしばしばあります。
☆乳房に円弧があることに気づかせてくれた。たしかに円弧は美しい。


「20代のオッパイはきれいだなぁ」というのは、本書の写真を覗き見した妻の発言だが、「重力と浮力の拮抗……」というところと妻の発言に関係があるのかないのか……気になるところではある。(が、質問はしなかった。)


愛とはオッパイである。ヒトのオスだけがセックス時にオッパイをまさぐるのは、失われた黄金郷へのノスタルジーのためといわれる。鹿島茂、帯の言葉)
☆なし
著者の伴田は、●そのままで、ただ見るだけで、誰もが幸せに感じるものがあるとしたら、乳房をおいてほかにないのではないでしょうかと書いている。(言われてみると、そんな気もするなぁ。)


なんだか奇妙な虫虫になってきたけれど、要は「乳房」は「重力と浮力の拮抗」の問題になり、「円弧」の美しさになり、果ては「ノスタルジー」にもなるということだ。
読書というのは、こんなふうに次々と頭の中をいろんなイメージや言葉が過ぎっていくことなのだろう。


奥野はこんな言葉を紹介している。
「アイディアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」/ジェームス・W・ヤング(p150)



伴田良輔については、私は『独身者の科学』、『絶景の幾何学』をパラパラと読んで、いっぺんに敬服してしまった。どこかで見かけたら、ぜひ立ち読みをオススメする。が、ちょっと覚悟がいるかもしれない。(と言っても、古い本なので、めったにお目にかかれないと思う。)


読書は1冊のノートにまとめなさい 100円ノートで確実に頭に落とすインストール・リーディング (Nanaブックス)

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BREASTS 乳房抄/写真篇

BREASTS 乳房抄/写真篇