当たり前のことを『学び合う』

katakoi20082009-06-18



もう一週間以上も前の話になるが、6月7日(日)は同僚に誘われて横浜の神奈川近代文学館で行われた『学び合い』入門セミナーに参加した。
『学び合い』とは、上越教育大学の西川純先生が中心となって研究・提案されているひとつの授業法で、わたしは以前から名前だけは聞いて知っていたが、具体的にはどんなものかよくわからなかったので、ちょうど近代文学館で調べたいこともあり、出掛けてみることにした。


当日は(幸か不幸か)好天に恵まれ、神奈川近代文学館がある港の見える丘公園では薔薇やあじさいなど、美しい花々が咲き乱れていた。(公園内にはデートを楽しむ初々しい高校生カップルやお洒落な横浜の恋人たちが何組もいて、ひとり寂しくベンチに座り、おにぎりを食べていた身としては、ちょっぴり羨ましく思った。)


セミナーでは、まず最初に西川純先生による50分間の講演が行われた。ご自身の経験と実証的な実験データをふまえた大変わかりやすい講演で、『学び合い』という授業の方法がよく理解できたし、あわせていまの子どもたちが置かれている現状も把握することができた。
わたしは初めて西川先生にお会いしたが、とてもエネルギッシュな方で、お話も落語家のように捲し立て、とても楽しかった。
司会をしていた横浜の中学の先生によると、西川先生は日本全国どこからでもメールで相談すれば、必ず返信して授業のアドヴァイスをしてくれるそうだ。(だから彼の周りには、たくさんの賛同者・信奉者が集うんだろうね。)


西川先生の講演の次は、信州大学三崎隆先生による国語の模擬授業が行われた。今回は中学の国語教科書を教材に、ある小説を読んで一定の条件に基づいた短い感想文を書くことが目標だった。
『学び合い』では、常に授業の目標が最初に呈示され、時間内にクラス全員がそれをクリアすることが求められる。今回はひとまずクラス全員が感想文を書ければOKで、内容自体は深く問わない。わたしも最初は何をどう書いていいのか、少し戸惑ったが、勇気を出して周りの人と意見交換してみたら、パッとひらめくことがあって、すぐに感想文を仕上げることができた。
『学び合い』は、こんなふうにお互いが助け合い、刺激しあって、勉強を進めていく。今回の模擬授業ではそれを実感することができた。これは自分でも驚くほどすんなりと受け入れられる体験だった。


3番目は西川先生と同じ上越教育大学の水落芳明先生による50分間の講演だった。水落先生もお話がとても上手で、すごく腑に落ちる内容だった。この講演でもご自身の体験をもとに様々な事例が紹介された。なかでも特別学級対象の児童が『学び合い』でクラスの子どもたちに受け入れられていくというお話は、感動的で共鳴するところがあった。


あとは横浜の小学校で実際に『学び合い』スタイルを取り入れて授業をされているお二人の先生の短い報告があった。
お一人の先生は、自分の報告よりも実際に『学び合い』を経験した子どもたちの感想のほうが参考になるだろうということで、小学校を卒業して、いまは中学生になっている教え子たちを呼んで、彼・彼女らの生の声を聞かせてくれた。子どもたちはどの子も『学び合い』のスタイルは、友達との関係が深まって楽しかったと語っていた。
子どもたちの話を聞いていると、『学び合い』は教科の学習だけでなく、クラスの人間関係をうまく築いていくのに有効のようだった。


セミナーでの体験を振り返り、こうして感想を綴ってみると、『学び合い』というのは何も特別な方法ではなく、一昔前までは当たり前の授業スタイルだったような気がしてきた。
勉強ができる子はできない子に教えてあげる。困っている子がいれば、クラスメイトとして手を貸してあげる。わたしが小学生や中学生の頃は、教師はどの先生も成績より助け合うことの大切さを教えていたように思う。「自分さえよければよい」という打算的な考えをはっきりと否定して、そういう子をちゃんと諭していたように思う。日本はいつのまにそういう大事なことを教えない国になってしまったのだろうか。
『学び合い』は、一見教科学習には関係ないように思われる「友達との絆」や「クラスの仲間意識」といったものが、いかに個々人の勉学に大切なことであるかをあらためて教えてくれる。(そうだよねぇ。人は誰でも人の役に立って、感謝されて、自分の存在意義を確認したい。人間にはそういう細胞が埋め込まれているのだ。前にこのブログで書いた言葉で言えば、「相互承認」ということになる。)
西川先生をはじめ『学び合い』に関わる先生方は、そのことを実証し、実践してくれているんだと思う。


それにしても会場には、小学校・中学校の先生を中心に100人をこえる参加者があって、わたしなんかはそれだけで十二分に心強く、励まされた。教育の現状を憂い、なんとかそれを立て直そうと努力を重ねいてる先生方がこんなにもいて、その姿に直に触れることができ、嬉しかった。
教育さえ立て直せれば、日本はもう少し頑張っていけるんではないか。


ところで神奈川近代文学館の閲覧室では、恩地孝四郎のミニ展示が行われていて、わたしはこちらにもいたく感動してしまった。
恩地の装丁感覚、ブック感は本当に素晴らしく、もっともっと研究されていいと思う。コンテンツとデザインというものを一体として捉える感覚は極めて現代的だと思う。まぁ、またいつかこのブログでも取りあげてみたい。


学び合う国語―国語をコミュニケーションの教科にするために

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