手をつなぐことの大切さ

katakoi20082009-02-09



昨日は朝早くから家族で長南町に出かけ、モルゲンランド・あしたの国学園の「おとなのための体験教室」に参加した。


講師はふだん「手の仕事」という授業をされている先生で、今年度は2年の副担任も兼務されているそうだ。「手の仕事」というのは、「ものづくり」と言えばいいのだろうか、図工と技術・家庭科がドッキングしたような授業のようだ。
昨日は総勢7名の参加があり、遠くは茨城県からいらしていた親御さんもあって、あらためてシュタイナー教育の可能性にかける多くの人の熱い思いを肌で感じる機縁となった。


講師の先生は、もの静かな感じの方で(女優の吉行和子さんみたいな感じ)、私たちにも終始やさしくゆっくりとお話しくださった。いつも子どもたちに接する時のようすが目に浮かぶようだった。
授業は一人ひとり先生と握手をして挨拶するところからはじまった(シュタイナー学校ではいつもそうしているようで、担任の先生は毎朝、握手をして子どもたちの体調の変化や気持ちの変化を感じとることを大切にしているそうだ)。そしてお祈りの言葉を唱えたり、手をつないで歌をうたったり、お手玉遊びをしたり、『枕草子』を朗読したり、……最初はお互いに緊張していたけれど、だんだんと打ちとけて和やかな雰囲気のなかで体験教室は進んでいった。


場所も実際に2年生が毎日使用している教室を使って行われた。築70年ぐらいの民家を借りて改修された教室は、決して広くなく、むしろこぢんまりとした昔ながらの日本家屋だったが、そのせいかかえってアットホームな空気に包まれており、私にとっては妙になつかしく、落ち着く空間だった。
シュタイナー学校では、学年ごとに基調となる色が決まっていて、1年生はピンク、2年生はオレンジで(あしたの国学園ではまだ1年生と2年生しかいない)、それぞれの教室にはその色に見合ったカーテンとかカーペットとか、布カバーなどが使われている。
魂・感情の教育を重視するシュタイナーの考えでは、当然、教室の調度品一つ一つにも細心の注意が払われる。そうした教室の実際は、大人たちの目から見ても居心地のよいものだった。


その後、授業はメインの水彩体験、粘土細工へと進み、最後はみんなで「さよならの歌」を歌ってお別れとなった。わずか数時間の出会いだったけれど、なんだか歌っているうちに寂しさがグッとこみ上げてきた。
そう言えば、小学生の頃、夕方の下校時間、友達と別れる一日の終わりが寂しくてたまらなかったことを思い出した。「さようなら、バイバイ! また明日きっと遊ぼーね。きっとだよ。」
私の子供の頃は、ほんとに一日中よく遊んだ。学校が終わってから塾に行くなんていうのは、ほとんどなかった。夕方、暗くなってくると、母親が「ご飯だよ」って迎えに来た。そして一人ぬけ、二人ぬけと……それぞれに家に帰っていった。


はたして今の小学生たちはどんな気持ちで友達と別れ、一日を終えているんだろうか。


シュタイナー教育は、決して人と人を比べたり、競わせたりしない。手をつなぎ、ともに歌い、ともに笑い、ともに絵を描き、常に私たちは一緒であるということを教える。
私たちという存在は、遠い遠い過去から今につながっていて、そして広大な宇宙とも結びついている。それを日々の授業のなかでお互いに確認しながら、一歩ずつ前へ進んでいく。走る必要はない。時には転んでもいい。寄り道も楽しいだろう。(こんな教育、今の日本じゃとうてい望めないね。)


今回の体験教室を通じて、妻は人と手をつなぐことの新鮮さにあらためて感動したと言っていた。


¶写真は実際に私が体験教室で描いた天地創造をイメージした絵。それと世にはじめてあらわれた植物をイメージした蜜蝋の粘土細工。先生には「とっても面白い形ですね」と褒められた。えっへん! ちなみに折り紙の器も自分で折ったもの。こういうの、子どもの時から得意なんです。
最近読んだなかでは、高橋巌の『シュタイナー教育入門』 (角川選書)がめっぽう面白く、参考になった。シュタイナーについては、これからも少しずつ勉強していこうと思う。