「環境」に「型」を見出す


昨日は「自由学校」に託し、恥ずかしながら、ひそやかな夢を告白したが、今週は北川達夫『図解 フィンランド・メソッド入門』(経済界)を読んだ。


朝日新聞の書評欄などにとりあげられ、話題を呼んでいる本だ。
私も東京丸の内丸善本店で平積みにされているのを見かけ、思わず衝動買いした。


著者の北川氏は外務省に入省、在フィンランド日本国大使館勤務を経て、現在は国語教師としてフィンランドの教育メソッドの紹介と実践を行っている。
フィンランドの教育が注目されたのは、OECDの学習到達度調査(PISA)で、2000年、2003年と連続して好成績をおさめたからだ。それで世界中がびっくりした。
これまでフィンランドの教育が注目されることはほとんどなかったが、注目してみると、やはりそこにはよく工夫された練習法があったというわけだ。


本書では、それを「発想力」「論理力」「表現力」「批判的思考力」「コミュニケーション力」の5つに分けて説明している。
たとえば「発想力」の養成に関して、フィンランドでは徹底的に「カルタ」を使う練習を行う。「カルタ」とは、トニー・ブザンが考案した「マインド・マップ」のことで、日本の「かるた」ではない。(誰も間違えないか……自分でつっこみを入れておこう。)


フィンランドでは、この「カルタ」を小学校3〜4年の国語の教科書で教えるらしい。
なぜ国語なのかと言えば、この「カルタ」を使って、文章を読むときの内容分析に使ったり、子どもたちに物語を創作させたりして、これがそのまま「表現力」の養成にもつながっているからだ。
ここら辺はお世辞ぬきになかなか楽しそうで、私も教え子たちに実践してみたい気がした。


「論理力」の養成に関しては、フィンランドの教師たちは、子どもたちに「ミクシ?(どうして?)」を連発するらしい。答えがあっていようが間違っていようが、「ミクシ」攻撃をして、子どもたちに自分の意見を改めて考える機会を与える。これもなかなかいい方法だ。
こんど私も「わかりません」と答えた学生に「ミクシ?(どうして?)」と迫ってみよう。
こうすることによって子どもたちは常に自己をフィードバックし、自らの意見に必ず理由を添えるようになる。国語の選択肢問題にも理由付けを求めるそうだから、本当に徹底している。フィンランドでは「結果」よりも「プロセス」が重視されるため、ただなんとなくとか、勘が働いて偶然正解したなんていうのは、許されないようだ。


こんな感じで、本書には他にも様々なフィンランドの教育実践がわかりやすく紹介されている。しかしまぁ、この辺でやめておこう。
確かに面白い試みはあるけれど、とりたてて特別なことは何もしてないなというのが、私の率直な感想だ。ごく当たり前のことが当たり前にやられているだけのことで、逆に言えば、今の日本ではそれができていないだけのこと。おかしな話だが、本書のおかげで、逆に変に自信を持ってしまった。(実際できるかできないかの差は、大きいのだけれど。)


さて今週とりあげたいもう一冊は、佐々木正人アフォーダンス―新しい認知の理論』岩波書店)だ。これは先週少し書いたように、職場でのある講演会がきっかけで読んでみたいと思い、ネットで注文した本である。
別にその講師が書いたわけでも、紹介したわけでもない。ただ私が勝手に、その講師の活動と関係しているんじゃないかと推測しただけだ。


その講師とは、建築家・岡啓輔氏。本職は建築家だが、様々なバイトで食いつなぎながら、岡画廊を営み、ダンスもこなすと言う。とにかく変わった男だ。
だいたいこの男、自分では服を買わず、もっぱら人からもらうことに決めたらしいのだ。当日も首にタオルらしきものを巻いて、おばちゃんが着るような薄手の青い水玉のシャツを羽織っていた。そもそも「自分で服を買わない」なんて、いちいち決めなくてもいいし、別に講演会で宣言しなくともよい。


そんな彼が注目を集めているのは、東京の一等地に土地を買い、そこに一人で自宅用のビルを建築しようとしているからだ。無謀にも「一人でビルを建てる男」なのだ。いや無謀ではない。すべて計算ずくだ。
その彼の家「蟻鱒鳶ル」(ありますとんびる)は、まだ完成もしてないのに、糸井重里の「ほぼ日」でとりあげられ、〈藤森照信賞〉を受賞した。


いや違う違う、そうじゃない。建築途中がもうすでに彼の建築で、作品なのだ。
近所のおじさんたちと雑談しながら一人で地下何メートルと穴を掘り、小学生にからかわれつつコンクリートを捏ねくりまわし、友達の助けを借りて鉄筋を加工する。ものすごく時間がかかるが、お構いなし。むしろそれを楽しむのだ。
とっぷりと日が暮れて、東の空から月が昇れば、そちらに月見用の窓を開け、西の河原から風が吹けば、そちらに風の通り道をつくっていく。そう最初から設計図などなく、様々な偶然と発見を(ときには困難も)丸ごと設計し、すべてを抱え込むように建築していくのである。


私は彼の話を聞きながら、「そうか、これがアフォーダンスなんだな」と気がついた。
アフォーダンス」とは、アメリカの心理学者・ジェームズ・ギブソン によって、1960年代に提唱され、近年になり人工知能やデザイン・インターフェイスの部門で再び注目されている概念である。


初期の認知科学の中心理論は、「情報処理モデル」だった。つまり人間は環境から刺激を入力し、それを中枢で意味あるものに加工すると考えていた。
しかしギブソンは、情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考えた。「エンバイロメント」とは、「情報に満ちた海」なのだ。私たちは、自身を包囲している環境に情報を「探索」しているのである。


「アフォード」とは、もともと「〜ができる、〜を与える」という意味の動詞で、「アフォーダンス」とは「可能ならしめるもの」、すなわち環境が動物に提供する「価値」のことである。(これでもわかりにくいね。)
要するに、私たちは、かなり短い時間のうちに、このすき間はパッと通り抜けられそうだとか、自分の体重ならこの橋は渡っても大丈夫とか、あの人とあの人の間に座ろうとか、そんな情報を環境から「探索」し、ピックアップしている、ということなのである。


岡氏がつくりながら設計し、設計しながらつくっていくのは、自分を含めた環境と対話し、その環境から情報を読み取っているのではないか、私は直感的にそう考えたのだ。
ギブソンは、「アフォーダンス」をピックアップするための身体の動きを「知覚システム」と呼んだ。メジャーリーグイチローがやっているのは、単に身体を鍛えているというんではなくて、まさにこの「知覚システム」を研ぎ澄ましているんではないか。だから彼はどんな球が来ても即座に打ち返すことができる。


そもそもギブソンの研究が大きく前進したのは、空軍の知覚研究プロジェクトに参加したことがきっかけだった。パイロットたちの卓越した「知覚システム」の謎を解明することからギブソンのアイディアは生まれたのだった。
彼によれば、知識を「蓄える」のではなく、「身体」のふるまいをより複雑に、洗練されたものにしてゆくことが発達することの意味なのである。これこそまさにイチローだろう。
岡氏が「建築家」でありながら、「ダンサー」である秘密もここにある。そう全てはつながっているのだ。


ところで先の本の北川氏は「あとがき」で、そもそも日本には教育のための肝心の「型」がないと言っていた。とんでもない話だ。日本こそ「型」という方法を重視した国はない。
だって「型」がなければ、歌も俳句もつくれないし、茶道も書道も武道もあみ出されるわけがない。それが教育に直結していないだけのことだ。


問題は今、現代日本人がそうした「型」を忘れ、見失いつつあることだ。「環境」と「身体」をあまりにも分断してしまっていることだ。これではいけない。
私たちはもっと自己にフィードバックをかけて、「アフォーダンス」に敏感にならねばならない。岡氏の朴訥なしゃべりと実践は、そういうことに気づかせてくれた。感謝したい。


フィンランドの子どもたちの成績がいいのは、もしかしたら、あの美しい自然環境を大切にしているからかも知れない。

図解 フィンランド・メソッド入門

図解 フィンランド・メソッド入門

アフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))

アフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))