花に水をやろう

悲しいことにまたひとり、教え子が星へと帰って行った。
今はたくさんの花に囲まれ、それらに水をやっている頃だろうか。


今週はそんな悲しみに暮れながら、サン=テグジュペリLe Petit Princeを読んだ。
日本では星の王子さまと言う。うまいタイトルだ。


作者のサン=テグジュペリが名うてのヒコーキ乗りだったことは広く知られている。
本書は彼が35歳の時、リビア砂漠に不時着し、生死のあいだをさまよった体験が下敷きになっている。
ほかにも王子と仲違いするバラの花とか、「献辞」の親友レオン・ヴェルトとか、彼の実際の人生がずいぶんと盛りこまれているらしい。


自分の絵を誰も理解してくれず、ひとり寂しく生きてきた僕は、サハラ砂漠不思議な少年、王子と出会った。
王子は僕に「ヒツジの絵を描いて……」とせがむ。彼はバオバブを食べてくれるヒツジが欲しかったのだ。


新潮文庫版には、作者が描いたイラストがふんだんに、しかもカラーで掲載されていて実にすばらしい。
おまけにテグジュペリは絵がとてもうまい。青いマントを羽織った金髪の王子をどこかで見かけたことのある人も多いだろう。


王子はバラの花とケンカして、自分の星を飛び出した。
文庫本の扉には「星を出ていくのに、王子さまは渡り鳥の旅を利用したのだと思う」という言葉とともにたくさんの鳥たちにひかれていく王子が描かれている。


王子は様々な星を経巡りながら、砂漠の真ん中で僕と出会った。
王子はとってもやさしい性格で誰とでもすぐ仲良くなれるが、ちょっぴり泣き虫だ。


王子は友だちになったキツネから「ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。いちばんたいせつなことは、目に見えない」と教わる。
王子はけなげにもその教えを守ろうとするが、実際のところ、大人たちはあまりわかってくれないのだ。


星の王子さま』の世界は、なんだかとても静謐で、ついついこちらも泣き出したくなる。
そして王子は自分が学んだ教えを僕に伝えると、ゆっくりくずおれ、私たちの前からふいにいなくなる。
まったく、ふいにいなくなるのだ。


ああ、こんな物語が世界中で読まれているなんて! なんて素敵なことだろう。
あのヒツジは結局バラを食べてしまったのか、食べていないのか。そんな些細なことで世界はなにもかも変わってしまうんだ。
みんな、これからはそのことを気にかけながら生きよう。


本書と合わせてちょうど読了したのが、澁澤龍彦『夢のある部屋』河出文庫)である。
この本は澁澤が少年の頃を思い出し、彼が好きだったモノや気にかかるコトについて自由に綴ったエッセイである。
私は早起きした朝、文章のお手本として少しずつ声に出して読んできた。


澁澤というと、サド・マゾの暗黒世界や怪しげなエロ・グロの巨匠といったイメージがあるかもしれないが、彼の心は少年のように純粋で、いつも「夢」に溢れている。
本書からは王子のように繊細な彼の内面を読み解くのがいい。事実、彼ほどノスタルジーを追求、追究、追及した人はいない。


いったい誰がこんな生きにくい世の中をつくってしまったのか。澁澤からはそんな静かな怒りをも感じる。
残された者がその意志を受け継いでいかなければならないのだろう。私たちにとって、何が大切なことなのか。それを心の目で見なくてはいけない。
澁澤は世間の常識にとらわれず、それを見続け、主張し続けた人だった。


私たちが水をやるべき花は今どこに咲いているのか?


T君、心よりご冥福をお祈りする。今までありがとう。
私は君と出会えてよかった。


星の王子さま (新潮文庫)

星の王子さま (新潮文庫)

夢のある部屋 (河出文庫)

夢のある部屋 (河出文庫)