受け取ってもらえないプレゼント

「あなたが感じる「日本」を写真に撮って、写メールで送りなさい(対象はモノでも人でも場所でもなんでも構わない)。」


という宿題を出したら、4分の1が未提出だった。


あとの4分の3はなんとか提出したものの、どれもこれもありきたりの写真ばかりで、「おおっ!」と思うものはほとんどなかった。
だいたいは神社・仏閣、あるいは着物や履き物といったところ。
まぁ少し面白かったのは、食べ物系かな。それも学生たちが挙げてきたのは、寿司や天ぷらではなく、丼やお好み焼きやあんみつといった〈ごちゃ混ぜ料理〉で「あ〜なるほどねぇ」だった。(アキバ世代は「日本」をこう見るんだね。)


こんな観点から日本文化のクレオールやハイブリッドを説明したら、わかりやすそうだと思い、慌てて資料を作ってプリントした。


デザイナーの原研哉高野孟にヒントを得て世界地図を90°回転させた図版を作成し、自著『デザインのデザイン』(岩波書店)に載せている。
地図を90°回転させると、世界はちょうどパチンコ台のような形になり、極東=日本はその受け皿的な場所に位置する。つまり日本はローマ、ペルシャ、ロシア、インド、中国など各国から落ちてくる玉をすべて受けとめる役割を果たしているというわけだ。
だからありとあらゆる文化や宗教、習俗などの混合が日本で起きる。私はそれを今のアキバに見るのだが、どうだろうか。


さて学生たちにわざわざ写真を提出させたのにはわけがある。
それは酒井道夫・沢良子編『タウトが撮ったニッポン』(武蔵野美術大学出版局)の写真と比較しようと思ったからだ。
結果は先にも書いた通り、どちらも似たり寄ったりでパッとしないものばかりだった。(まぁそれに気づかせるのが真の目的なので、そういう意味では学生たちの貧困な発想が授業としては功を奏したのだが。)


ところでタウトとは、昭和8年に来日し、3年半あまりを日本で過ごしたドイツ人建築家、ブルーノ・タウトのことである。
彼は外国人の目で日本の風土や習慣、建築を見つめ、写真を撮り、日記を書き、『ニッポン』・『日本文化私観』などの書物を矢継ぎ早に上梓した。
タウトは桂離宮伊勢神宮など簡素な日本建築にモダニズム建築の理想を見出し、高く評価した一方で、日光東照宮のような華美でゴテゴテした建物をキッチュ(俗悪)だと言って退けた。
彼の発想は期せずして(?)、時の皇国史観にマッチし、著書はまたたく間に評判になった。


そうした潮流に待ったをかけたのが、作家の坂口安吾であった。
彼にはその名もズバリ「日本文化私観」という有名なエッセイがある。正々堂々、タウトのパロディだ。
しかし今回は安吾の話はやめておこう。今夜はあくまでタウトが主役だ。


さて本書は、来日中にタウトが残した写真日記を整理し、解説を施したものである。
写真を見れば、タウトの考え・ものの見方が一目瞭然で教材にはもってこいだ。
編者たちはタウトは決して皇国史観一辺倒ではなく、意外に日本庶民のナマの姿をちゃんと見つめていたのだと擁護したいようだが、そう言うにはちょっと根拠が弱いだろう。
しかしまぁ、ともかくもこれだけの写真をきちんとまとめてくれたのは有り難い。いくらおバ○な学生たちも写真で見れば、少しは理解が深まるだろう。


これはひどい言い草のように聞こえるかも知れないが、最近の学生たちの様子を見ていると、本当に授業中の集中力がない。
何も注意しないと私語が止まらないし、私語を注意するとそのうち寝てしまう。このあいだ授業参観した息子の年中組とあまり変わらない。いやもっとひどいかもね。(今朝も息子に「パパは学校で何してるの?」と訊かれたので、「調教」と答えておいた。)


もしかしてこちらの話し方が悪いのかな? とも思い、千葉の本屋で見つけた八幡紕芦史『図解 自分の考えをしっかり伝える技術』PHP)を買ってみる。
130ページぐらいの薄手の本なので、帰りの電車のなかであらかた読んでしまった。なるほど人前で話すには、大切な心構えと実に様々な秘訣があるのがわかった。


筆者は伝えることの最終目標は「相手に行動を起こさせること」だと言う。
授業で言えば、新しい気づきのもと学生たちが自ら進んで勉強するということになるだろうか。(こりゃ相当に大変な目標だ!)


筆者の八幡が提案するのは、大方はごくごく当たり前のことだ。
「開始の合図は忘れずに大きな声でしなければならない」とか、「ロードマップを織り交ぜて現在位置を示す」とか、「話し手の態度や振る舞いが重要だ」とか、「「意見」と「事実」を両手に携えてバランスを保ちながら「感情」を表現する」とか……。


そのなかでも特に印象深かったのは、「相手とのブリッジを架ける」ことからはじまり、「プレゼンテーションはもともとは「プレゼント」なのだから言葉の贈り物をしましょう」という最初の方のくだり。
だから話は自分が話しやすい順ではなく、「相手が聴きたい順がいい」ということになる。得てして人はポイントをあとにもってきたがるのではないだろうか。


一応教師の端くれとして、適宜こんな努力と工夫をしながら授業をしているんだが、今のところ、私からの「プレゼント」はなかなか受け取ってもらえない。それは「プレゼント」自体に魅力がないのか、渡し方に問題があるのか。それとも受け取る側の問題か。


筆者も言っているように、人に何かを伝えるには、とにかくエネルギーが必要だ。それを怠っては何も伝わらない。
いや、それにしても最近の学生は……。


タウトが撮ったニッポン

タウトが撮ったニッポン

[図解]自分の考えをしっかり伝える技術

[図解]自分の考えをしっかり伝える技術