追憶への旅

katakoi20082008-08-31



夏休み後半はある研究報告会の準備に追われ、ブログの更新がままならない状態になってしまった。(たった一事で心身ともにいっぱいいっぱいになってしまうなんて、俺もまだまだだなぁ。)


というわけで、実際には間に合わなかったのだが、その研究報告会に出かける前になんとかまとめてみたいと思っていた2冊の本がある。


そのひとつはニール・フィリップの『神話入門』(あすなろ書房)。〈「知」のビジュアル百科〉というシリーズの一冊だ。
本書はその名の通り古今東西、世界の「神話」を〈ビジュアル〉を中心に追っかけたもので、とても充実した仕上がりになっている。見た目にも楽しい本だ。
このシリーズは1期ごとに4〜5冊ずつ、すでに第4期まで刊行されていて、本書のほかにも『岩石・鉱物図鑑』、『ミイラ事典』、『魔術事典』、『古代ギリシャ入門』などがあり、どれもこれも見てみたいものばかりだ。カバーには「88カ国で愛されつづける世界的ベストセラー!」と書かれているが、それも肯けるラインナップである。
ただ写真や図版が多いせいか、1冊1冊が結構高い。『神話入門』も2,000円+税だ。(もちろん私は古本価格で購入したのだが。)こういう本こそ、図書館にきちんと入れてほしいなぁ。


さてその中身だが、これはもうその見目麗しい図版に圧倒されてもらうしかない。鬼神、精霊、怪物のオンパレードだ。(今流行りの言葉で言えば、ディズニーランドのパレードなんて「屁のつっぱり」にもなりませんよ、だ。)
本書を眺めていて気づくことは、世界の「神話」には奇妙な共通点があるということ。それは一言で言ってしまえば、たとえば「男と女」とか「善と悪」とか「太陽と月」とか「天と地」とか、世界のはじまりには必ず〈対〉が想定されていて、その〈対〉から物語が始動するということである。
つまり「神話」は世界の裂け目を記述しつつ、それを隠蔽する構造をともなっている、ということだ。そしてその裂け目で遊ぶ者が「トリックスター」であり、その裂け目を克服し紡いでいく者が「英雄」となる。


本書のある頁には、ウェヌスアフロディテ)の「像」とそれをつくるための「鋳型」が写真で掲載されている。私はこれを見て「あっ!」と叫んでしまった。そう、世界は「鋳型」と「像」でつくられているのだ。
現代に生きる私たちは「像」の方ばかりを見てはいないか。たまには「鋳型」の方を思い出してみる必要がある。


もう1冊は、ちょっと気軽に五月女ケイ子の『レッツ!! 古事記』(講談社)。これは人気イラストレーターの五月女ケイ子が、出版社の求めに応じて「古事記」の世界を漫画化したもの。
今「古事記」の内容を少しでも知っている日本人って、果たしてどれくらいいるんだろうか? 全く知らないという人は、この漫画を入り口にしてもいいから、ぜひその世界には触れておいてほしい。
「あとがき」によると、五月女自身も全く知らなかった部類の人のようで、慌てて勉強しながら、本書を描き上げるまでに3年を要したと言う。それだけ「古事記」の世界は、複雑で奥が深いということだ。


本書はその難解な「古事記」を実にわかりやすく、コンパクトにまとめてくれている。
出だしは有名なイザナキとイザナミの国造りの話。柱を立てオノコロ島をつくったあと、「成り成りて成り合はざる処一処」をもつイザナミと「成り成りて成り余れる処一処」をもつイザナキはそれらの部位を重ね合わせ(大人の君たちならなんのことかわかるよね?)、次々と子どもを生んでいく。
この場合の子どもというのは、もちろん神さまのことなんだけど、最初に生まれたのは、骨のないブヨブヨの蛭子(ひるこ)という子どもで、これは残念ながら神さまにはカウントされず、葦の船に乗せられて流されてしまう。(ただし興味深いことに、日本ではこの蛭子はのちに恵比寿となって敬われる。どちらもエビスって読むよね。日本人の心性って、実に面白く、奥が深いねぇ。)


最初の子づくりに失敗したのは、「すごい神様」に言わせると、どうも女性のイザナミの方から声をかけたのがよくなかったらしい。そこで今度は男のイザナキの方から声をかけ、無事に健康な子ども(神さま)を生んでいくのだが、イザナミは「火の神」を生んだのがきっかけで火傷を負い、あっけなく死んでしまう……。(こんなふうに綴っていたら、いっこうに終わらないなぁ。続きがどうなったかは実際に読んでみて下さい。簡単なのですぐ読めます。)
五月女はこのあと「オオちゃん王になる」、「神の子降臨」という2系統の話を紹介していて、やはりどちらも非常にわかりやすく、面白い。(漫画家たちのこの省略技術は、今や教員が学ぶべきテクニックだろうね。)


「神話」の世界を単に漫画にしたというだけなら、たぶんほかにもいくらでもあるはずだ。
本書を真にユニークにしているのは、五月女とオロチ博士のかけあい漫才のような脚注だろう。そうだ、現代的な感覚でボケとツッコミを入れながら「神話」の世界に入っていく手もあるんだな。
たとえば先の蛭子のところでは、五月女は「女性から声をかけるのが、どうしてよくないのですか? 逆ナン的な意味ですか?」と質問する。すると、オロチ博士は「逆ナンではなく男尊女卑(男の方がえらい)の考え方に基づいている」と説明しながらも、「なんだかんだ言って大事なときには女性の方が積極的というのは、昔も今もかわらないところですね」と付け加える。確かに確かにだ。思わず、笑ってしまった。


ま、図版でも漫画でも、またどんな心構えでもよい。たまには「神話」「伝説」の世界に親しみ、踏み込んでみることだ。きっと何かを感じるはずだ。


と、ここまで書いて、25日からの花巻・遠野の旅に出かける予定だったんだが、冒頭に記したように発表の準備に忙殺され、それがかなわなかった。


久しぶりに訪れた花巻・遠野は、やっぱりすごかった。五百羅漢、オシラ様には圧倒された。
あそこには私たちが忘れている「鋳型」がまだ残っている。遠野には未来がある! そんなふうに感じた。
日本人はもっともっと遠野に足を運び、いろいろと学ぶべきだ。いやいや思い出すべきなのだ。


途中雨に降られたり、何度も山道を登ったり下ったりと、なかなか大変な旅だったけど、実に実に楽しかったね、Kさん。
ありがとう! 感謝を込めて。


神話入門 (「知」のビジュアル百科)

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五月女ケイ子のレッツ!!古事記

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