再会がもたらすもの

katakoi20082008-10-16



何年かぶり、いや何十年かぶりにある女性と再会した。こんなことって、あるんだねぇ。
私は一気にその女性に惹かれてしまった。


その女性の名は、子安美知子さん。ドイツ語・ドイツ文学が専門の早大名誉教授である。ミヒャエル・エンデ『モモ』の翻訳者としても知られている。
女性の年齢を明かしたら失礼かもしれないが、御年70をこえて今なお精力的にご活躍だ。(これは大いに見習わないといけない。)


再会と言っても、実際にお会いしたわけではない。(いや近々お会いすることになるかもしれないが。)
子安さんが以前書かれた本と劇的な再会を果たしたのだ。ミュンヘンの小学生 娘が学んだシュタイナー学校中公新書)である。30年以上も前に上梓され、今なお読み継がれている超ロングセラーだ。


私はたしかこの本を大学生の頃に教育系の教授に紹介されて購入し、一読したまま、ずっと書棚にしまい込んでいた。それが最近、極めて個人的な関心からある活動のことを知り、そのことがきっかけとなって、埃のかぶった本書を引っ張り出してきたというわけである。
当初の記憶はきれいさっぱり忘れているが(本当に読んだのか?)、再読してみると、実に面白い。文体も読みやすく、長年売れ続けてきたのも肯ける。
また時代がめぐって、本書は新たな輝きを放ちはじめているようにも思う。私は途中、何度も泣きそうになった。それぐらい今回の再会は、感動的だった。


私が偶然にも行き着いた「ある活動」というのは、著者・子安さんと関わりがあるのだが、そのことについては本書の内容とともに後で触れることにしよう。
その前にもう一冊、別の女性の一風変わった本を紹介しておきたい。先日の京都行で出会った女性だ。未生響『心的奇天使』(空中線書局)である。


空中線書局については、前にもこのブログで書いたことがあったように記憶しているが、間美奈子さんという女性が切り盛りしている京都のプライベート出版局である。大変に美しい造本の詩集などを限定販売で手掛けている。憧れの出版局だ。(本って、やはり意匠も大事なんだよね。)
で、あるサイトによると、詩人・未生響というのは、どうもその間さんのペンネームらしい。(なるほど、そういうことか。)


今回、私が京都で買ってきた『心的奇天使』というのは、もうお気づきだろうか? (シンテキキテンシ)――そう、上から読んでも下から読んでも同じ音になる回文詩集なのである。(もちろんデザインも素晴らしいよ。写真を見てほしい。)
私のお気に入りは次の四篇。(あんまりたくさん引用すると、まずいだろうから4つぐらいにとどめておこう。)

○2メーターノ塵ハ理知ノ為ニ
○Qノ意味聞ク君ノ遊戯 (これはちょっと苦しいか?)
○脱タイプ靴下疾駆、不意ダッタ
○ヨロコブロゴス転ブ頃ヨ


未生響は自ら「遊戯詩人」と名乗っているらしいが、私たちはいつの頃からこういう遊戯の精神を忘れてしまったのか。子どもの頃は、単に(シンブンシ)と発音するだけで、その不思議な感覚に驚き、感動していたはずなのに。
もしかしたら、幼稚園のお遊戯会の頃には、すでに本当の意味の「遊戯」の精神を奪われ、見失っているのではないか。(私は息子のお遊戯会や運動会に行くと、楽しいと感じるより、ちょっともの悲しい気分になってしまうのだ。その理由はこんなところに関わっているのかもしれないな。)


芸術活動を基盤にして、そんな子どもの遊戯の精神を大切に育てようというのが、ルドルフ・シュタイナーの教育論だ。シュタイナーについては、実は前回のブログでも触れておいた。(覚えているかな?)例の黒板絵の講師だ。
彼は1861年オーストリアに生まれた思想家で、その研究は自然科学、哲学、文学と幅広いが(前回はゲーテの研究家として紹介しておいた)、やがて彼は神秘思想に取り憑かれ、アントロポゾフィー人智学)という独自の世界観を築いていく。どうも彼は、幼い頃から霊的な存在を感受する能力があったらしいのだ。
神秘思想というと、なんだか胡散臭い感じがするかもしれないが、19世紀末においては、それほど奇異なことではなかったと思う。(ただし彼の場合は、やはりちょっと独特だが。)


シュタイナーの名が今でも広く知られているのは、彼がつくった独自の学校――シュタイナー学校に因るところが大きい。ヨーロッパでは、シュタイナー学校は数多くあるそうだが、日本では残念ながら、今のところ数校を数えるのみで、ほとんどがNPO法人フリースクールだ。(シュタイナーの考えをとりいれた幼稚園は結構あるみたいだが。)


シュタイナーの教育論は、先の彼の紹介でおおよそ見当がつくと思うが、かなり特殊である。
第一、シュタイナー学校ではテストがない。生徒を点数で評価するということをしないのだ。(羨ましい!?)
だから当然、成績表もなく、通知表は担任の先生が文章や詩、あるいは絵で書(描)いて、本人と保護者へ贈る素敵なお手紙なのだ。(そこにはきっと「たましひ」がこもっていることだろう。)


シュタイナー学校では、ふつう小学校から高校までの12年間の一貫教育を行う。担任もクラスも8年間変わらない。
こうなると、もうクラスは家族的な繋がりで、担任は子どもたちの成長を見守る親代わりだろう。(兄弟が少なかったり、友だち付き合いで悩んだりする現代っ子たちには、かえってこんな濃密なクラスの方があっているんではないかと思う。)


どう? こんな学校があったら、行ってみたい? 
カリキュラムも授業方法も相当にユニークなのだが、細かい話は『ミュンヘンの小学生 娘が学んだシュタイナー学校』を読んでいただくことにしよう。本書は幼い娘さんを連れてドイツに留学されていた子安ご夫妻のシュタイナー学校体験記である。
子安さんは、慣れない環境で言葉に不安を覚え、いつまで経ってもしゃべらない愛娘を思いきってシュタイナー学校へ入学させる。(シュタイナー学校は特殊な学校だけにドイツでも常に賛否両論が渦を巻いているのだ。)
本書はその娘さんの成長の足跡を綴った感動のドラマにもなっている。なかなかクラスで話そうとしない娘・文さんをシュタイナー学校の担任の先生は、一体どんな方法で打ち解けさせたか。これはぜひ手にとって読んでもらいたい。涙が出る場面だ。


しかし残念ながら、今の日本では、この教育はまねできない。全くシステムが違うからだ。
現場の教員も生徒・学生も、そして保護者も現行の日本の教育はとっくに限界に達しているということに気づいている。(気がついていないのは文科省のバカ役人だけだろう。)
そこで私はもう一度、このシュタイナーの思想を見直してみたいと考えていたのだ。やはりそこには一つの新たな可能性があるように思う。
文科省の一枚岩的なお仕着せの教育はもう終わりにしよう。教育はもっと多様であってよい。いろんな種類の学校があっていいと思うのだ。そして生徒たちは自分にあった学校にフリーパスで行けばよいではないか。


と、こんなことを考えていたら、なんと私の住んでいる千葉県に子安さんも関わっているモルゲンランド「あしたの国」構想というのがあるのを知った。すでにNPO法人の活動も始まっている。(http://www.ashitanokuni.jp/index.html
千葉ではNPO法人ではなく、学校法人としての認可を受けたシュタイナー学校・「あしたの国学園」を中心に東京ドーム15個分の敷地に小学校、中学校、高校、病院、住宅などをつくり、一大共同生活拠点を築こうという計画らしい。地元の町では地域通貨の発行も検討しているそうだ。


これはすごい。壮大な計画だ。本当に実現すれば、画期的だ。田舎の山奥があっと言う間に日本のフロンティアになるだろう。最先端の街だ。世界でも注目されるに違いない。


何十年ぶりかの再会。こんな奇跡があっていいんだろうか。
縁って、本当に不思議だねぇ。私はこういう偶然を大いに楽しみたいと思っている。