この国のあした

katakoi20082008-12-01



昨日30日(日)は、NPO法人あしたの国まちづくりの会主催「シュタイナー・フォーラム講演会」に参加した。シュタイナーについては、前にこのブログでも書いたけど、あれからも地道にずっと勉強を続けているんです。(えっへん!)


昨日こちらは青空の広がるとてもよい天気で、道すがら会場近くの笠森観音を訪ねてみた。
笠森観音は正式名称を「天台宗・別格大本山笠森寺」といい、延暦3年(784)伝教大師最澄上人が楠の霊木で十一面観音菩薩を山上に安置し、開基したと伝えられている。観音堂の建築様式は日本唯一の「四方懸造」(しほうかけづくり)として明治41年(1908)「国宝」に、その後昭和25年(1950)に「国指定重要文化財」になっている。
私は初めてここを訪れたが、思っていた以上に見ごたえがあった。季節柄、ちょうど周囲の木々も色づいていて紅葉もきれいだった。(こういう場所をゲニウスロキと言うんだろうな。)山肌や青天に聳える大樹、苔むした朽ち木、透き通る池水に浮かぶ水草など、辺りに立ちこめている山気からは大いなるエナジーを感じた。またちょくちょく訪れて散策してみたい。春の桜の季節もいいかもしれない。(私は都会の繁華街でショッピングするよりも本当はこういうところが好きなんです。)


さて肝心の講演会のほうだが、会場には40〜50人ぐらいの人が集まっていて、なかなか盛況だった。午後最初に講演された堀内節子さんは、豊橋にじの森幼稚園の創設者で33年以上にもわたってシュタイナー教育の実践に努めてこられた方だ。
昨日は3〜6才ぐらいの子供の本質ということをテーマに、特に頭と消化器、四肢の「めざめ」と「ねむり」について、シュタイナーの教えをもとに、わかりやすくご自身の体験を踏まえながら楽しく話してくださった。目からウロコの話もたくさん聞けて、実に有意義だった。


日本をはじめ、いま世界の先進諸国は資本主義が暴走し、どこもかしこも競争原理がまかり通っている。(それが教育の現場にも浸透している!)資本主義は利潤を生み出すために常に新たなステージ、新たなステージへと人々を追い立てる。逆に言えば、古いことやスローなことに価値を置かないシステムが資本主義の正体だ。
これは私の勝手な感想になるのだが、堀内さんの「めざめ」と「ねむり」の話に戻せば、現代ではいつも人々は「めざめ」ていることを強いられるのである。そう24時間営業のコンビニがいい例だろう。私たちは覚醒させられっぱなしなのだ。そのようなライフスタイルが、小さな子供にいいわけがない。
子供たちの成長にとって大切なのは、リズムをもった「めざめ」と「ねむり」の往還であり、「まどろみ」の時間こそが貴重なのだ。堀内さんは、その過程で大人たちがファンタジーの力を与えてやることが重要で、そのとき「ねむり」からめざめた天使たちは、はじめて「私」というものを自分のなかに育んでいくことができると結ばれた。


次に話をされたのが、私の敬愛する子安美知子さん。(前にブログで紹介したね。)やはりとてもエナジーに溢れた方だった。
子安さんはあしたの国の「きのう」と「あした」について、話をされた。「きのう」というのは、89年前のシュタイナーの言葉。「あした」というのは、今の子供たちを含めた私たちの未来のこと。


シュタイナーは、今をさかのぼること89年前、1919年シュタイナー学校を担う若き教師たちに対し、連続講義を行い(それはそれはすさまじい猛特訓だったらしい)、その最終日に彼らを前に「先生にのぞむ四項目」というものを伝えたそうだ。それは以下の四項目。(あわててメモしたので、正確な言葉ではないと思うが、ご勘弁願いたい。)
ハイ、それではいきますよ。

教師たる者、
1.イニシアティブの人であれ。
(子安さんの説明では、イニシアティブの人というのは、何事にも「やろうよ」「やるぞ」と率先する人のことを言う。)
2.真実ならざるものに妥協せざる者たれ。
(子安さんの話では、真実は直感で捉えられるもののようだ。)
3.この世のあらゆるものに関心を持て。
(教師は好奇心のかたまりであらねばならない。)
4.生きている人間であれ。ひからびるな。

私も教師の端くれとして、実に実に反省を強いられる言葉だ。うーん、自分がかろうじて及第点をもらえるのは3ぐらいだろうか。ま、すぐには無理だろうが、少しでもこれらの言葉にかなうような人でありたいと思う。


それから「あした」ということに関わっては、子安さんはミヒャエル・エンデの次の言葉を紹介してくださった。それは「第三次世界大戦はもうはじまっている! それは地域と地域の戦いではなく、私たちが私たちの子供たちにしかけている戦いである」というもの。
これも耳の痛い言葉だ。大人はいつのまにか知らず知らずのうちに子供たちが安心して暮らせない世界をつくりだしてしまっているのではないか。
子安さんは、いまの子供たちが吐き出す暴言は、大人たちに責任があるのではないか、と話された。これは私も同感だ。そして大いに反省。事態は深刻だ。もはや見て見ぬふりなんかしていられない。なんとか知恵を出しあって、解決しなければと思った。


こんな言い方をしては失礼かもしれないが、私は子安さんには初めてお会いしたけれど、そのお人柄にいたく感動した。
他人の痛みを感じとる感受性の鋭さとやさしさ。そしてありとあらゆる言葉に耳を傾ける素直さ。これが本当の研究者のあり方なんだろう。
会場からは教育学が専門という大学教員から何度も何度も質問が出ていたが、質問と言いつつ、どこかに必ず自分の自慢が入っているんだよね。それが聞いていて鼻につく。大学教員にもいろいろあって、ま、それが一流と二流の差なんだろうけれど、日本には知識を振り回し、権力を振りかざす輩が実に多い。(これは声を大にして言いたい。大学の教員と聞いたら、あぁたいしたことないんだなと思った方がいいくらいだ。残念なことだけど。「三流のお前に言われたくないわい」という声が聞こえてきそうだが……。)
それに比べ(比べちゃ悪いが)、子安さんの言葉にはまったくイヤミがなく、少しも偉ぶるところがない。私はやはりこういう人に憧れる。自分の目標としたい。


最後の交流会でわかったことだが、会場にはNPO法人を立ち上げ、苦労を重ねながら障害者教育を支援している人や、あるいは自らの生活を犠牲にしながら不登校生徒の教育と指導にあたっている先生など、実に様々な取り組みをされている人たちが集まっていて、そのことでも私は感涙にむせんでしまった。
歪みに歪んだいまの日本の社会と教育の現状……。だけれど、世の中まだまだ捨てたもんじゃないな、と少し励まされる思いをした一日だった。


¶シュタイナーの著作はとても難しい。わけがわからない。そこでまずはルドルフ・シュタイナー『魂のこよみ』ちくま文庫)あたりが入りやすいだろうか。本書にはシュタイナー自身による絵もたくさん載っていて、それだけでも価値がある。それから前に紹介した真行寺君枝さんの『めざめ』(春秋社)にもシュタイナーに触れた部分がある。(いま気がついたけれど、このタイトルもなんだか意味深長だねぇ。)
シュタイナー教育の実践については『小学生と思春期のためのシュタイナー教育学習研究社)がわかりやすかった。同じ学研からは堀内さんの『0歳から7歳までのシュタイナー教育がある。昨日入手したばかりでまだ読んでいないが、ドーリス・シューラー『ママのためのシュタイナー教育入門』(春秋社)もよさそうだ。


魂のこよみ (ちくま文庫)

魂のこよみ (ちくま文庫)