袖振り合うも多生の縁

katakoi20082009-01-11



昨日は、たばこと塩の博物館で開催されている「おらんだの楽しみ方 江戸舶来文物と『焉録』」を見に行った。
はじめてこの博物館を訪れたが、こぢんまりとしたなかなかユニークな博物館だった。受付の方、職員の方もとても雰囲気がよかった。


今回の催しは開館30周年記念特別展ということで、さまざまな文物を通じ、江戸時代の日本とオランダの文化交流の軌跡を探ろうというものだ。
周知のように当時の日本では鎖国が敷かれ、日本人の海外渡航は禁じられていたが、長崎出島等における交易を通して、異国の文物や情報が常にもたらされていた。(歴史で習う「鎖国」のイメージを私たちは一新するべきかもしれないね。)
特にオランダからの舶来品は珍重され、国内での模倣もずいぶんと行われたようだ。また洋風表現を用いた浮世絵も制作され、エキゾチックな絵は人気を集めていた。さらにはオランダ語を習得し、西洋の学問を本格的に学ぶ研究者や蘭学者たちもいた。(たとえば、すぐに『解体新書』の杉田玄白が思い浮かぶよね?)


副題に記されている『焉録』(えんろく、本当は「焉」にはくさかんむりがつく。フォントがないのであしからず。)とは、愛煙家として知られる蘭学者大槻玄沢が、古今東西の資料を集めてまとめた「たばこ」に関する研究書である。たばこと塩の博物館ならではの珍しいコレクションだ。(別の稿本が早稲田大学にもあるようだが。)
本展では他にもガラス製品、陶器、金唐革、喫煙道具、草双紙などが展示されていて、ゆっくりまわったら1時間半ぐらいかかってしまった。(私は本屋と博物館・美術館に行くと長いんです! あ、トイレも長いな。)
なかでもやはり歌川豊春や歌川豊国、葛飾北斎の異国趣味な浮世絵が目をひいた。当時の絵師たちは当然、西洋の絵画に接する機会があり、その画風や技法(特に遠近法!)を研究し、積極的に取り入れていった。アルファベット風の文字を絵の周りに額縁のようにあしらった浮世絵はとりわけ面白かった。そこにはちゃんとVOCのマーク(オランダ東インド会社)も記されていた。(このように異質なものが出会うと、そこに新たな文化・ヴィジョンが生まれていくんだね。)


私が昨日を選んで本展の見学に出かけたのは、ジャパノロジスト、タイモン・スクリーチ氏の記念講演を聴きたかったからだ。彼はオックスフォード大学を出て、ハーヴァード大学の大学院で美術史学の博士号を取得した俊才で、現在はロンドン大学の教授として活躍されている。(が、今は早稲田大学で講義をもっているようだ。)江戸学にヴィジュアル・カルチャーの研究法を導入し、新たな局面を切り開いた。この功績はきわめて大きい。


昨日は「江戸異人往来」と題し、日本に入国したオランダ人(異人)の参府(往来)の実際について話をしてくれた。
日本にやってきたオランダ人は将軍に謁見するため、一年に一度、数ヶ月をかけて長崎・出島と江戸の間を往来する。たいてい彼らは季節のよい春を選んで江戸にやってきた。そしてそれはしだいにひとつの年中行事のようになっていった。ついには「阿蘭陀」は春の季語になり、芭蕉も「かぴたんもつくばわせけり君が春」、「阿蘭陀も花に来にけり馬に鞍」と詠んでいる。


しかし江戸にやってきたオランダ「かぴたん」(キャプテン・長官)たちは、幕府にとってはあくまで商人の扱いで、謁見も数十秒で終わったらしい。(何ヶ月もかけて旅してきたのにねぇ。)
江戸に来た彼らは、日本橋の長崎屋に滞在した。本物の「異人」に接することの少なかった江戸の人々は、彼らを一目見ようと、長崎屋の周りに集まったようだ。ただし実際には塀が高くて一般人が覗き見ることはほとんどできなかったらしい。葛飾北斎が当時の人々の様子を絵に残している。(けれども蘭学者たちはこのチャンスをいかして、彼らと私的な交流をしていたようだ。まぁ一緒に酒を飲めば、話もはずんでいろんな情報交換ができたんだろう。「袖振り合うも多生の縁」だ。)


タイモン・スクリーチ氏は、こんな具合にパソコンでさまざまな絵を示しながら、日本とオランダの交流について解説してくれた。こうしたヴィジュアル資料を中心に歴史を紐解いていく方法は、やはり画期的だ。日本の近世文学研究者たちは、本文ばかりに注目して挿し絵なんかに目もくれなかったが(いや近代の研究者も同じだが)、これからの新人文学の一つの方向性がここにあると思う。
会場には多くの人が集まっていて、立ち見が出るほどの盛況だった。彼の人気が窺われる。(だってそうだよねぇ、絵を見るのって楽しいもんね。)


しかし日本人が外国人である彼から江戸近世の歴史を教わるというのは、なんだか不思議な感じがした。まったく日本の学者は何をやっているんだろうねぇ。
私も少し反省して近世について勉強しようと思った一日だった。
その成果はまたいつかこのブログで。


タイモン・スクリーチ氏の著作は、すでに多数翻訳されている。私が持っているのは『大江戸視覚革命』(作品社)、『大江戸異人往来』(ちくま学芸文庫)、『江戸の大普請』(講談社)あたり。彼を日本にいち早く翻訳・紹介したのが、高山宏氏であったことも付け加えておきたい。(日本の近世文学研究者、もうちょっと頑張ってよ。高山氏は英文学者ですよ。)


大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫)

大江戸異人往来 (ちくま学芸文庫)