17才のための恋愛学


たしか山田ズーニーだったと思うが、彼女が言うには、人は人生で17才を2回経験するらしい。1回目は実年齢の17才、高校2年生の頃。2回目は大人になってからの17才で、高校や大学を卒業し、社会に出てから17年たった頃だそうだ。大卒なら39才という計算になるだろうか。(私の場合は大学院に進学し、半分学生、半分社会人という時期があったので、ちょっと計算が微妙になるが、まぁだいたい今の実年齢に近いかもしれない。)


17才とは、どんな年齢か。
ふだん接している学生や自分の高校生の頃を思い出してみると、とにかく親や教師、周囲の大人たちの言うことややることに無性に腹が立った年齢だった。理由はよくわからないが、やたらに世間に反感を抱いていた。また私は田舎に育ったが、そのローカルな文化や習慣が許せなかった。恥ずかしくさえ思っていた。世間の常識や社会の決まり事をぶち壊したかった。だからと言って、実際にナイフをふりまわしたりすることはもちろんなかった。自分にそんな勇気や力がないことを十分にわかっていたからだ。いやいや、そんなことでは埒があかないことを十二分に弁えていたからだ。だからこそ余計に苛立ち、それが時々爆発し、落ち込み、不安にさいなまれていった。「俺の人生、こんなんでいいんだろうか?」と悩んでいた。


17才というのは、そんな壁にぶつかる時期ではないかと思う。それは昔も今も変わらない。そしてその17才が、山田ズーニーが言うには、社会人17年目にもう一度めぐってくるというのだ。仕事にも慣れ、家庭を持ち、一通りの安定を得たなかで今ひとつ満足しきれない自分を抱え、「俺の人生、こんなんでいいんだろうか?」と悩みはじめる。
きっとこの壁を再び乗り越えていったら、もう一つ上のステージに上がって行けるのだろうが、そのためには高校生の時のようにもがき苦しむしかないのかもしれない。(私の場合は、それでも永遠に17才のままかもしれないが。)


そんな感慨にふけりながら、先週は試験の採点と成績処理をしつつ、ちょっぴり感傷的に伏見憲明『男子のための恋愛検定』理論社)を読んだ。これは私の好きな「よりみちパン!セ」シリーズの1冊で、たまたま勤務校の図書館で見かけ借り出したのだった。本校は工学系の学校なので図書館にはたいしていい本が入っていないのだが、誰かがリクエストでもしたのか、この「よりみちパン!セ」シリーズに関しては、有り難いことにこの年度末、全巻揃えて購入してくれた。(で、結果的にはたぶん、大人である私が実際の17才よりも先に借りて読んでしまったことになる。ごめんよ、もうすぐ返すからね。)


本書の最初には「恋愛検定テスト」なるものがついている。全部で30問。Yes/No式の簡単なテストで、その得点で「恋愛力」がはかられる。(このあいだ今年度最後の授業で学生たちにやらせてみたのだが、高得点の者は数えるほどしかいなかった。ちなみに私は26点で「恋愛力」は「上級」クラス。「黒帯」には1点及ばなかった。あぁ残念。)
このテストは言わば準備運動で、そのあとに本文がはじまり、テストに関わる解説が縷々述べられていく。目次は以下の通り。STEP1〜9まである。

STEP1「恋」は取り扱い危険物
STEP2「恋」はもてはやされすぎている
STEP3「恋」とは何か?
STEP4「恋」の成分
STEP5「恋愛資源」のABC
STEP6「恋愛」する資格
STEP7「恋愛」をするにあたっての諸注意
STEP8「恋愛」はなぜ「切ない」のか
STEP9「恋愛」の目的

目次でだいたい想像がつくかもしれないが、本書のテーマはなかなか奥が深い。
と言っても、私はもう大人の17才なので、すべてがすべて目から鱗という感じではなかったけれど、それでもところどころハッとさせられた。
たとえば次のような記述。

「恋」をすると、自分で自分をプロデュースする必要に迫られる。
「恋愛」は、人と人が関わるときの距離の取り方を実践的に教えてくれるのだ。
「恋愛」は人間がそれぞれ異なる存在であることを突きつけられる、発見の場なのだ。
「恋愛」は顔が命だ。
「恋愛」は別れをもって完成する。
結婚で得られるものと、「恋愛」は矛盾するところがある。

どうだろうか。ちょっと意外に思うものもあるのではないだろうか。それでも君は「恋愛」をしたいと思う? それとも「恋愛」が少し怖くなっただろうか。


「恋愛」というのは、結局自分をさらけ出すことになるわけだから、不安を感じることもあるし、時には深く傷つけられることもある。それでも人は「恋愛」に憧れ、実際に「恋愛」を経験し、一歩一歩大人へと成長していく。17才にとって「恋愛」ほど自分を高められるいい修行はない。高校生諸君! 恐れずに大いに恋愛しなさい。(でも「つきあわない?」「いいよ♪」なんていう安易な「恋愛」じゃダメだよ。本書を読みながら、高校生を相手に「恋愛学」という講義をしたら面白いかもしれないと思った。いつかチャレンジしてみたい。)


しかしながら「恋愛」とはなんなのかということは、実は科学者も精神科医も、いやいや本人でさえよくわかっていない。先日の新聞によると、人は「恋」をすると、ドーパミンが分泌されるらしいが、悲しいかな、それも3年ぐらいで止まってしまうらしい。だから現実には4年目の別れが起きやすいのだそうだ。(そう言えば、昔「3年目の浮気ぐらい…♪」という歌があったなぁ。ちょっと古いか。)


本書の筆者・伏見氏は「恋」とは「一人の相手に気持ちがロックオンしてしまう原因不明の症状」と説明している。そう、「恋」はいまだに「原因不明」なのだ。だからこそドラマや映画、小説に「恋」は描かれ、さまざまに追求され、そして追究されてきたのだろう。
人はなぜ「恋」に落ち、お互いを求め合うのか? この問いも簡単には答えられない。私が本書のなかでもっとも感心したのは、この問いに対する筆者の次の説明である。「「恋愛」はお互いの「資源」の交換だといえる」。「交換」と言っても、実際にモノをやりとりするわけではない。相手の「資源」を共有している気分になって、その快楽を味わうことが「恋愛」の醍醐味なのである。そのためにも人は自分の「資源」を増やさなければならない。(「うちの学校は女子が少ないから、出会いのチャンスが少ないんだよねー」と言っているそこの君! それは言い訳というもんだよ。女子が少なくてもモテる奴はモテる。要するに君に魅力的な「資源」がないから、女の子が振り向かないだけ。さぁ今すぐ勉強し、身体を鍛え、自分に磨きをかけなさい。)


さて本書が男子のための〈恋愛講座〉だとすると、女子のための〈恋愛講座〉も紹介しておかなければなるまい。そんなふうに考えて読んだわけではないが、あれやこれや頭に浮かんだなかで、今回はまんが『こほろぎ嬢』尾崎翠研究会)を取りあげておくことにしよう。
本書はちょっと特殊な本なので手に入りにくいかも知れないが、独特な尾崎翠の小説世界を実にシンプルに案内してくれているので、尾崎翠の入門書としては一番いい本ではないかと思う。


尾崎翠は1896年鳥取に生まれ、東京と故郷・鳥取を行ったり来たりしながら、文筆活動をした作家で、花田清輝太宰治など同時代の文学者からはその作品を高く評価されていた。しかしなぜか昭和の初め、彼女は突如断筆し、永らく忘れられていた幻の作家でもある。(なかには彼女は亡くなったのだと思い込んでいた人もあったらしい。)
しかし近年になって、尾崎翠再評価の気運が高まり、現在では筑摩書房から全集も刊行されている。10年近く前になるが、ピンク映画で知られる女性監督・浜野佐知さんが「第七官界彷徨尾崎翠を探して」を映画化したことも話題になり、今は第2作目「こほろぎ嬢」が完成しているらしい。(今回紹介したまんが『こほろぎ嬢』は、この映画と連動していて売上金の一部を映画の制作費にあてていたようだ。私はまだこの2作目を観ていないが、1作目の「第七官界彷徨」については、私が今の勤務校に着任して間もない頃、教え子たちと一緒に東京の岩波ホールまで出掛け観に行った。その際、学生が書いて送った感想文に浜野監督がハガキで返事を下さった。監督、今でもそのハガキは大事にとってありますよ! 不思議なことに一途な思いって、いつかどこかで繋がるんですね。)


本書『こほろぎ嬢』には、尾崎翠の「歩行」・「地下室アントンの一夜」・「こほろぎ嬢」の3作品がまんがになって収められている。3作品と言っても、内容的には「歩行」と「地下室アントンの一夜」は、ゆるやかに連関しており、テーマ的には乙女の「恋」ということですべてが繋がっている。(乙女って、こうやって「恋」するんだね。)
なかでも私が一番好きなのが、「歩行」。(前回のブログのタイトルは、ここに繋がっているんです。アルス・コンビナトリアでしょ?)
主人公は小野町子、15才。彼女は兄の友人・幸田当八氏に「恋」をしてしまったみたいで、一日中屋根裏部屋でボンヤリとしている。一緒に暮らす祖母はそんな町子の気も知らないで、自室に閉じこもり「ふさぎの虫」に取り憑かれた彼女を「歩行」させようと企み、お萩を作って松木家へおつかいに出したのだった。


動物学者の松木氏は、うすい雑誌と一瓶のおたまじゃくしを不機嫌な面持ちでかわるがわる眺めている。雑誌というのは、義弟の土田久作氏の詩集で「カラスは白きつばさを羽ばたき ああとわらう……」などと書いてある。
実証派の松木氏はこの「白いカラス」が気にくわない。こんどは土田氏がおたまじゃくしの詩を書くというから、科学の冒涜を阻止するため、町子に土田氏のもとへ実物のおたまじゃくしを届けてくれと言う。


町子はまた歩かされるはめになるが、土田氏は実物を見ると、詩が書けなくなるタイプで、結局、おたまじゃくしの詩を断念してしまう。しかし彼はそれよりもなによりも一目見て町子に「恋」をし、その彼女がどう見ても失恋していることの方が気になるのだった。彼は「悲しい時は大きな声でうたってごらん」と言うが、町子はうたうことができない。
すると今度は帳面の紙を一枚破り、彼がいつか聞いたことのある詩を書いてわたす。この言葉がなんとも絶妙で、「恋」の本質に迫っている。今回はこの言葉を引用して終わりにしよう。乙女はぜひぜひ尾崎翠を読んで、「恋」の勉強をつんでほしい。
ハイ、ではいきます。

おもかげをわすれかねつつ
こころかなしきときは
ひとりあゆみて
おもひを野に捨てよ

おもかげをわすれかねつつ
こころくるしきときは
風とともにあゆみて
おもかげを風にあたへよ 


男子のための恋愛検定 (よりみちパン!セ)

男子のための恋愛検定 (よりみちパン!セ)


尾崎翠の本は、文庫版の『ちくま日本文学全集 尾崎翠』(筑摩書房)が入手しやすい。彼女の文章は不思議な雰囲気を湛えていて、どこもかしこも〈引用ノート〉に写しておきたくなる。また「こほろぎ嬢」を読むと、きっと「ねじパン」を食べたくなります。

尾崎翠 (ちくま日本文学 4)

尾崎翠 (ちくま日本文学 4)