〈ひえさび〉の東京

katakoi20082009-03-02



先週の金曜は、上野で会議だった。この日、関東地方はものすごく寒くて、朝からの雨はいつしか雪にかわっていた。


午後からは時間が空いたので、六本木に移動して国立新美術館で行われていた加山又造を見に行った。展覧会の規模は決して大きくはなかったけれど、思った以上に素晴らしい作品が多く、十二分に見ごたえがあった。私はいっぺんに加山又造に魅了されてしまった。


加山は現代日本画を代表する画家のひとりで、祖父は絵師、父は京都西陣の和装図案家の家庭に生まれた。彼は実に多くの作品を残していて、西洋絵画の影響を強くうかがわせる動物画、琳派など日本の古典に倣った華麗な屏風絵、線描の美しさを追求した裸婦像、北宋山水画に学んだ水墨作品、あるいは着物や陶器の絵付けをはじめジュエリーのデザインなど、その創作活動も多岐にわたっている。
今回の展覧会は、そうした彼の活動の幅をすっきりと案内していたように思う。とてもわかりやすい構成になっていた。


私が加山又造の名を知ったのは、松岡正剛『山水思想―「負」の想像力』ちくま学芸文庫)を囓ったのがきっかけだ。(この本、難しくてなかなか一気に読めない。いやいや、松岡正剛の本は一気に読むのがもったいなくて、どれもこれもゆっくりじっくり味わいたい気持ちになってしまう。)
松岡は『山水思想』の冒頭、危篤の横山操からどうしても会いたいと言われて最後の日々を裸どうしでつきあったという加山又造の報告に知られた話として、「日本画の将来はどうなるんだ」と言って死んでいった横山の最期を紹介している。
その言葉に呪縛されたわけではないだろうが、加山は生涯を通じて〈日本画とは何か〉を考え続けた画家だったように思う。


私は今回、加山の画を見ながら〈ひえさび〉ということを思った。彼の画はどこかいつも寂しげで孤独だ。その画のモチーフは、冬とか月とか、烏、狼など、人が普段あまり見向きもしないモノに向けられていて、それが極限にまで様式化されている。
加山は西洋の絵画技法を組み入れながら、日本の伝統画を徹底的に模倣した。これを「仿古」というそうだ。伝統の伝承者ではなく、むしろ断絶を確信していたからこそ、彼は「仿古」を積極的に行って、そこに新たな前衛性を掴みだそうした。
北宋山水画に倣ったという彼の水墨画には、確かに震えるような神経美学とでも形容したいアヴァンギャルドが見え隠れしていた。私が好きな画の一群だ。


彼の筆は、神経を磨り減らすようなか細い線、煙るような空気感、飛散・群舞する断片において冴えわたる。
桜の花びらが乱舞する「はなふぶき」などは、坂口安吾桜の森の満開の下を思い出させ、「あぁこう来ますか。恐れ入りました。もう降参です」という感じになって、胸がウッと詰まってしまった。
こうして振り返ってみると、雪のちらつく東京に似つかわしい展覧会だった気がする。(ムリをして出掛けてよかったなぁ。それにしてもあの悪天候に関わらず、多くの人が訪れていて、加山の人気の高さを思い知らされた。やっぱり、すごいものは人を呼び寄せてしまうんだね。)


夕方はそのまま地下鉄で神保町まで出て、久しぶりに東京堂書店を覗いてみた。
そうしたら、桐野夏生の最新作『女神記 新・世界の神話』角川書店)のカバーに加山又造の「はなふぶき」のモチーフが使われているのを発見した。(いや〜こんな偶然もあるんですね。)この縁を大事にしなきゃと思って、メディア・アートの専門書と合わせ『女神記』買って帰った。そしたら、なんとうちの奥さんも『女神記』を以前に買っていたことが判明。(う……これは奇遇というより、ちょっと反省すべき事態かも知れないなぁ。)


天候の悪いなか、あちこちと歩き回ったけれど、実に楽しい一日だった。(あ、仕事の帰りだから、こんなに寄り道したら怒られるか。)
だけど、帰りのバスでは、妙に「切ない」気持ちが募ってきて、少し弱った。加山の寂しい絵画に引き込まれすぎたかな。
なんだかたくさんの宿題を出された気分になってしまった。