コトバの遺産

katakoi20082009-03-29



久々の更新です。
実はある研究会で急遽発表させられることになって、その準備に追われ、ブログの更新がままならない状態に陥ってしまったのでした。どうも、面目ない。
それで発表の方は、先週末なんとか無事に終わったのだけれど、それにしても今回は裏方と表方、一人二役的な立ち回りでほとほと疲れてしまった。劇団ひとりというタレントがいるが、研究会ひとりという孤独も味わった。その後さすがに体調を崩してしまい、最近になってようやく復活しつつあるという次第である。


さてそんななか、先日の金曜日・27日は、休暇をとって東大駒場キャンパスの近く、日本近代文学館で行われたイベント「尾崎翠の新世紀―第七官界への招待―」に行ってきた。
このイベント、私はひょんなきっかけからネットで知ったのだが、その時点ではすでに満席でキャンセル待ちの状態だった。幸いその後追加予約の受付があり、なんとか初日だけすべり込むことができたのだが。(尾崎翠については過日このブログでも紹介したけど、いや〜意外に人気があるんですねぇ。)


初日の目玉は芥川賞作家・川上未映子の講演だった。(もっともこちらを目当てに会場に足を運んだお客さんも多かったみたい。川上未映子についてもこのブログで紹介済みですね。覚えてるかな? そう考えると、我がブログもなかなかスゴイね。見事にアルス・コンビナトリアしてる。あっ、こういうの、自画自賛っていうのかな?)


川上さんは、自分は「感じる専門家」だから、批評家のように明晰なスタイル・方法を持ち合わせていないが、尾崎翠の小説に接し、感じたことを率直に語ってみたいと前置きした上で、終始リラックスした雰囲気のなか、話が始まった。
私ははじめて川上さんにお会いしたが、とても綺麗な方でその感性の鋭さに仰天してしまった。(小説から受けるイメージとはちょっと違う感じで、これって損してるのか、得してるのか、ビミョーですね。)


川上さんは、尾崎翠の小説「第七官界彷徨」は、何度読んでもいっこうに頭に入ってこない、いつまでたっても読み終わった感じがしなくてキャラクターもこんがらがってしまうと言う。(ふつう講演者は、何でも知ったかぶりをして話すものだけれど、ここらへん彼女はさすがだなぁと思った。)
川上さんは、その原因はこの小説自体がぐるぐると円環をなすようなイメージで書かれているからではないか、と推測する。(実際、尾崎翠の創作ノートにはそのようなメモが残されているらしい。)


たしかに言われてみると、この小説は冒頭はわりとカチッと固まっているのだが、読んでいくうちに会話がグチャグチャになり、登場人物たちの気分も次々と感染して、最後には小説全体が一色に滲んでいく印象を受ける。
川上さんは、小説全体のイメージは違うけれど、文体としては尾崎翠横光利一とか三島由紀夫に類似していると言う。(ここらへんもさすが「感じる専門家」ですね。)


今回の川上さんの講演には「いったい、第七官界って何のことやと思います?」というタイトルがつけられていたのだが、その「第七官界」について、彼女は「二つ以上の感覚が重なって生じる哀感」のようなものではないかと提案した。そしてその説明がまたユニークだった。
彼女は「二つ以上の感覚が重なる」ということを「コトバ」と「存在」ということで解説する。それは、こうだ。
私たち人間は、実はありとあらゆる認識をコトバを通じて行っている。星座を知ってしまった者が、もはや煌めく星々を個々断片の光と見なし得ないように、コトバを知ってしまった以上、私たちはコトバなくして認識は不可能なのだ。(いやそうじゃない、コトバになる以前の認識もあるはずだ! という反論があるかもしれないが、私は断然、彼女の考え方に軍配をあげる。)


要は「悲しい」という感情は、「悲しい」というコトバがつくられたから生じた気分なのであって、その逆ではないということだ。
ふつうは「悲しい」という感情が先にあって、その感情を言い表す用語として「悲しい」というコトバが発明されたと考えがちだが、そうではなく、その逆になっている可能性があると言うのである。(ここらへんはソシュール言語学を復習する必要があるね。)
川上さんはもちろんソシュールをふまえた上で、こうした事態を「コトバ」と「存在」の含み込み現象と名付けていた。(この感覚、鋭いよね。私はこのあたりのことを宇宙論と関わらせて考えたいと思っている。いつになるかわからないけれど、このブログでも書いてみますね。)


で、問題は小説のヒロイン・小野町子に「第七官界」というコトバがどうやって訪れたのかということだけれど、残念ながら、それは私たち読者にも、作者・尾崎翠にも、当の本人・小野町子にもわからない。
けれども「第七官界」というコトバを持ってしまったのである。持ってしまったがために、人はもはや「彷徨」せざるを得ないのである。(たぶんここには当時の言語学精神分析学の考え方が深く関わっているだろう。尾崎翠って、イメージとは裏腹に意外にモガなんですよね。)


川上さんは、「第七官界彷徨」というタイトルに「コトバを持って生きる人」とルビをふりたいと言う。そして私たちは、いや私たちだけでなく、私たちの子どもも、そのまた子どもも……永遠にずっと「第七官界」という「コトバ」を持って「彷徨」しつつ、生きていくはずだとする。
そして彼女は最後、日本人として自分たちの世界に「第七官界」という「コトバ」を尾崎翠という作家からもらったことの、この幸せを噛みしめたいと締めくくった。(うーん、ちょっと物足りない気がしないでもないけど、そして彼女ももう少し話したいことがあったみたいだけれども、それでもなかなかに刺激的な講演会だった。風邪気味だったが、行ってよかったなぁ。)


川上さんは講演会の途中で質問を受けるなどして、とても和やかな雰囲気を醸し出していたが、私は彼女のさりげない「コトバ」の端々に創作家としてのセンスのよさをビンビンと感じていた。(アーティストは、こうでなくっちゃね。)
イベントの初日は、その後活動弁士澤登翠さんの朗読「アップルパイの午後」で幕を閉じた。
「アップルパイの午後」は珍しい尾崎翠の戯曲だが、湯浅ジョウイチ氏のギター演奏にあわせ、兄・妹それにナレーターと次々と声色を変えて読まれるプロの朗読は、結構新鮮で楽しいものだった。(こういうの、うちの学生たちにも生で聴かせたいなぁと思った。寝ちゃうかな? いつか学校で企画してみようと思う。)


2日目28日(土)は、浜野佐知監督の映画「こほろぎ嬢」の上映と批評家・研究者によるパネルディスカッションが行われたはずだが、こちらは席がとれず、残念ながら参加できなかった。


¶冒頭にアップした写真は、今回のイベントの手作りパンフレットだが、講演会終了後、たまたま私の席の近くに川上さんが座ったので、話しかけてサインをおねだりしたら、快く応じてくれた。いや〜美人だし、頭いいし、性格もいいし、ホレてしまったなぁ。