愛のオブジェ

katakoi20082009-04-03



愛とはどんな形をしているのだろう? ハート型? 
うーん……たしかに与謝野晶子の処女歌集『みだれ髪』には、藤島武二によるハート型の意匠がほどこされていた。晶子自身の説明によれば、キューピッドに射られたハートの矢は「恋愛」を意味し、その矢先からこぼれ落ちる花びらは「詩」を表しているのだと言う。
これが「恋愛」の形だと言われれば、そんな気もするが……はたしてどうなんだろうねぇ。


そんな出口の見えない問いにとらわれていた最近、1冊の本に出会った。
アンドレ・ブルトンポール・エリュアール『恋愛 L'amour』(エクリ)である。宇野亜喜良が挿画を担当していて、とても美しい造本だ。


この本には32の「愛のかたち」が書かれ、描かれている。たとえばこんな感じ。

19 女の両腿が上げられ、交差しているかたちを「螺旋」という。

30 女が寝台の上にひざまずき、その前で男が寝台に向かって立っているかたちを、「ベチベル草」という。

こんな具合に32の「愛のかたち」がエクリされ、それに宇野亜喜良のエロティックな画が添えられているのだ。


引用した2カ所からわかる通り、ブルトンとエリュアールのテクストは複雑怪奇、容易には理解しがたい。
本書の最初には、次のような序文がついている。

愛しあう愛、ここで私たちの心をとらえることのできそうなただひとつのもの、それは、習慣のなかに異例のものを投げこみ、月並み表現のなかに想像力を、疑いのなかに信念を、外部のオブジェのなかに内部のオブジェの知覚を投げこむような愛のことだ。

うーん、やっぱりわかるようなわからないような……なんとも微妙な言の葉のゆらめき。このニュアンスを紐解くには、まずは2人の作者がシュールレアリストであったことを知らねばならない。


もともと本書は1930年11月、ジョゼ・コルティ社から刊行された『処女懐胎』と題される作品だった。(4章18篇からなる『処女懐胎』のなかから「恋愛」の1篇のみが選ばれ、新たにつくりなおされたのが本書である。)
処女懐胎』はシュールレアリストたちがさかんに駆使した「自動記述」(エクリチュール・オートマティック)によって書かれている。あまり深く考えず、とにかくどんどんとスピードを速め、次から次へ文字を綴っていく。すると、自分でも気づかなかったような、無意識に近いピュアな心の現象が表出されると言う。


シュールレアリストたちは、こうした「自動記述」をとおして「オブジェ」の発見をしていったらしい。
「オブジェ」とは、フランス語で「物」を意味すると同時に「客観」とか「対象」を表す言葉だ。「主観」を強引に推し進めていった先に「客観」にたどり着いたといった感じだろうか。あるいは「対象」があって「愛」が見出されるのではなく、「愛」が先行し、後になってから「対象」が自覚されるといった感じだろうか。
いずれにしろ「愛のかたち」なんて、そもそも考えてもわからないのだから、こんなふうに「自動記述」で探っていくのがたしかにベストなのかもしれない。


それを現代において地で行動にうつしているのが、内田春菊『あなたも奔放な女と呼ばれよう』祥伝社)だ。本書は3回結婚し、3回とも離婚した内田春菊本人の体験記を漫画にしたものである。
ただし漫画とは言っても、本書には驚くべきことがいくつも書かれている。たとえば、戸籍制度は世界でも今や日本と台湾しか採用してない!(知ってた? ちなみに韓国は2008年1月に廃止したらしいよ。)


日本では婚姻届を出すときに戸籍謄本を付けることになっているが、なんで戸籍がいるのかと言うと、それは日本では未だ結婚というものが「家」に縛られているからなんですね。嫁はもらうもので、家系は男メインで進んでいく。でも「家」にこだわらなければ、戸籍なんていらないのだ。
最近では「結婚してないけど、堂々と同棲しています」といったライフスタイルを「事実婚」と言うらしいが、こんな形の愛がもっともっと進めばいいのにと思う。(私の知り合いの女性が、この「事実婚」をしているが、日本の場合は、依然として制度が追いついていないみたい。)


フランスでは書類上で結婚していないカップルを「ユニオン・リーブル」(自由な結合)と言うらしい。海外では婚姻届を出すカップルはどんどんと減っているようだ。
もっとも「ユニオン・リーブル」の前提として、女性がバリバリと働ける社会であるということが必要だ。相手に依存せず自由に生きていくというのが、セ・ノーマル(当たり前)なんですね。(日本も本当に早くこうなればいいのになぁ。結婚して家庭をもったがために夢をあきらめ、いつも我慢を強いられているお母さんって、世の中に意外と多いんじゃないかな?)


じゃあじゃあフランスでは子どもが生まれたらどうするの? っていう疑問が出てくると思うが、フランスでは子どもが生まれると「家族手帳」なるものが配布され、認知証明さえすれば、男は容易に父親として認められるということだ。だからなおのこと、書類上で結婚する必要はないんだね。さすがはアムールの国だ。
親世代でも子世代でも「個」として生きることが認められ、社会がそれを当然の権利として支援しているというわけだ。(あぁ日本はまだまだ劣等生だね。)


辞書を引くと、「奔放」とは「常識や慣習などにとらわれず、自分の思うとおりに振る舞うこと」とある。3回結婚し、3回離婚した内田春菊は、はたして日本で「奔放」と認められるだろうか。
国自体が「奔放」になることは到底望めないが、ならば結婚を考える若いカップルこそ「奔放」を心がけるべきだろう。そして日本では「結婚」が必ずしも「奔放」につながっていないことを肝に銘じておくべきだ。


「奔放」を形にするには、グダグダ考えず、「自動記述」のようなスピードで駆け抜ける必要があるのかもしれないね。


¶『恋愛 L'amour』の解説者・寺村摩耶子(私はこの人に会ったことはないけれど、すごくファンなんです)によると、挿画を担当している宇野亜喜良には相当なスピードで画を描く伝説があるらしい。
寺村は「おそらくは“パンチュール・オートマティック”によるものだろう」と述べている。

恋愛 L'amour

恋愛 L'amour

あなたも奔放な女と呼ばれよう (Feelコミックス)

あなたも奔放な女と呼ばれよう (Feelコミックス)