鍵と鍵穴

katakoi20082008-08-05



3日の日曜は、夏バテで体調がすぐれないなか、薬を飲みながら、六本木ミッドタウンへ出かけた。
21_21 DESIGN SIGHT で開催中の浅葉克己ディレクション「祈りの痕跡」展を見学するためだ。


たいへん面白い企画だった。無理して行った甲斐があった。
展覧会のチラシには「最初に痕をつけたのは、誰か。5000年前、シュメール人が粘土板に楔形文字を刻んだ瞬間、人間の思考、感情、芸術、科学は記録という行いによる永遠の生命を獲得した。……」と書かれている。


「痕」という発想が斬新だ。
ここから人類は「書く」という行為に進み、世界で次々と文字が発明されていく。
しかし私は、「痕」ということからは、それ以前に模様や絵のことも想起してみたい気がした。このあいだ見に行ったエミリー・ウングワレーのことも思い出していた。


午後からは今回の展覧会にあわせた記念イベント=松岡正剛浅葉克己スペシャトーク「動く文字、定める文字」を聴講した。
ずいぶん昔から懇意であるらしいお二人は、さすがに阿吽の呼吸で、軽妙なボケとツッコミに何度も笑わされた。


浅葉さんが、あんな可笑しな人だとは思わなかった。
でもデザイナーって、やっぱり可笑しいんだよね。スゴイんだよね。(そうじゃなきゃ、デザイナーになんてなれないよなぁ。)
浅葉さんは、毎朝、3時か4時頃に起きて、中国の典籍を臨書しているらしい。
いやいやいや、それだけじゃなくて毎日、日記をつけ(これは30年ぐらい続いているらしい)、仕事をこなし、世界中を旅をしながら、地球上の文字を探求しているのだ。彼は地球文字探検家なのである。


中国のトンパ文字に魅せられて、地球上のありとあらゆる文字を追いかけ、日夜、物学(ものまね)していると言う、そんな浅葉に対して、松岡正剛は「そうしていると、パッと向こう側の世界に行き着く時があるでしょ?」と問う。(この切り返しもスゴイよねぇ。)
私はこの部分を聴いて、そうか、これってベンヤミンの「パッサージュ」のことだ! と妙に得心してしまった。


学ぶというのは、いつもこの「物学」(ものまね)からはじまる。
漢字学者の白川静さんが、毎日、甲骨文字をトレースしているうちに古代人の思想や感情がしだいに見えてきたのもそのためだろう。「トレース」というのは、「まねる」ことであり、あらたな「痕」をつけることだ。そうして白川さんは、いつのまにか古代に「パッサージュ」したのだ。
もっとも浅葉さんは、「デザイナーは、何でもかっぱらうのが仕事だからね」なんて、冗談っぽくごまかしていたが……。


お二人の話を聴いていて、今回、もっとも感心したのは、世界は「鍵と鍵穴の関係」で成り立っているということ。
そうだ、「地」がなければ「図」は描けないないのだ。模様や絵や文字は、すべてこの「地−図」で成り立っている。


それと同じように「鍵穴」がなければ「鍵」は意味をなさないのだ。
私たち現代人は「鍵」だけを求め、「鍵」だけを作ろうと焦りすぎていないか。
新たな世界の扉を開ける「鍵」は、きっと「鍵穴」を想定していないと見つからない。


浅葉さんが行っている臨書や日記は、たぶん「鍵穴」を見つけるための地道な訓練なのである。