喪失の悲しみ

katakoi20082009-05-11



連休の最終日、5月6日(水)は昼過ぎから東京に出掛け、銀座教文館で行われていたぞうさんの詩人 まどさん100歳展―ぼくがボクでよかったな―」を見てきた。
展覧会の最終日ということもあってか、狭い会場は大勢の人で賑わっていて「まどさん」の人気のほどがうかがわれた。


詩人まど・みちおは、1909年山口県に生まれた。今年でちょうど100歳になる。
まど・みちおをよく知らないという人でも童謡「ぞうさん」は知っているだろう。「ぞうさん ぞうさん おはながながいのね そうよ かあさんもながいのよ」のあの「ぞうさん」だ。1951年、団伊玖磨が曲をつけラジオ放送された。(私はこの歌を口ずさむだけでじんわりと涙が浮かんでくる。)
まどを最初に見出したのは北原白秋だった。1934年「コドモノクニ」に投稿したまどの童謡が白秋に選ばれ特選となった。(たしか前にこのブログでもそんなことに触れたように思う。)その後まどは南洋の島々で戦争をくぐり抜け、戦後は味の素川崎工場の守衛をしながら詩作を再開、国民図書刊行会等で雑誌編集の仕事に携わりつつひそやかに詩を発表し続けた。


本展覧会では、草稿や原稿のほかに彼自身が描いた数多くの絵も展示されていた。これも前に書いたことがあったように記憶しているけれど、まどの描く絵はとってもいい。心奪われる美しさだ。いつまでもいつまでも眺めていたい。
作家の江國香織は、まどの絵を「あかるさびしい」と評している。まどは好んで抽象画を描く。彼には「絵を見る時くらいは、自分の視覚を自由にさせておいてやりたい」という思いがあるらしい。ほんわりと温かい、それでいてどこか遠いような静謐な世界――「あかるさびしい」という表現がピッタリだ。
谷川俊太郎はまどの絵に「言語化不能な内部の暗黒領域」を指摘し、河合隼雄は「傷を受ける治療者」(wounded healer)を想起する。また神沢利子は「まどさんを動かして絵を描かせるものは、原初の生命記憶の海」だと言う。


それほど人々を魅了してやまない絵なのだが、しかしまどが「ぞうさん」の詩から10年、51〜55歳にかけて描き続けた彼の抽象画の存在を知る人は、ごく限られた近しい人々だけだった。
その画業が世間に明らかになったのは、なんと1994年のことである。(こんなところにもまどの人柄がよくあらわれているね。)まどはまるで子供のように、兎に角絵を描くのが楽しくてしょうがないのだ。気がついたら朝になっている、ということもしばしばらしい。
今回の展覧会では、まどの日記も公開されていて「3:30トイレに行く」なんて書いてあって、私は妙に感激してしまった。100歳になろうというおじいさんが夜明けまで一心不乱に絵に没頭してる姿を想像すると、私なんかはまだまだクソ餓鬼だと思う。(「あぁなんかだりぃよ。ねむてーし」なんて言っている若者なんて、いっそのことそのまま一生寝てしまえ。)


私は今回の展覧会ではじめて知ったのだが、まどは5歳のとき一人、両親に置き去りにされた。両親が新たな職を求め兄妹を連れて台湾に渡ってしまったのだ。そうして彼は小学3年まで祖父とふたりっきりで過ごすことになる。
まどはある朝目覚めると、家の中がひっそりとしていて自分だけが置き去りにされたことに気づいたと言う。この時の悲しみ、寂しさはどれほどのものだったろう。しかし彼はこの時の体験が自分をつくったのだと言う。彼の童謡・詩・絵から受ける、どうにも切なくやりきれない寂しさはこの時の体験と深く関わっているに違いない。(それでもまどは「ぼくがボクでよかったな」という人なのだ。「ぞうさん」の歌に「おかあさん」が出てくるのもこれで納得がいくね。)


銀座で「まどさん」を見た後は地下鉄を途中下車し、以前に多木浩二氏の講演だけ聴いて実際の展覧会を見られなかったワタリウム美術館「歴史の天使 アイ・ラブ・アート10写真展」を覗いてみた。時間がなくて本当にさっと眺めるだけになってしまったが、展示されていたなかではやはりマン・レイ、それからヨゼフ・スデク、ジャンルー・シーフらの作品がよかった。
まどの絵を見た後だからだろうか、「写真」というものも結局は「失われた時」を記憶にとどめる(あるいは想起する)窓なのだということがよく了解された。(「まど」と「窓」のダジャレじゃないよ。絵も写真も四角いフレームであることに要注意!)


そして夕方からは、本日のメインイベント、渋谷ユーロスペースで上映された寺山修司の映画草迷宮を鑑賞した。寺山の映画については、前々から見たい見たいと思っていたのだが、なかなかその機会に恵まれず、今回ようやく念願が叶って劇場のスクリーンで見ることができた。
草迷宮」は、言わずと知れた泉鏡花の名作。寺山は、鏡花はつねに「現世以外の、いくつかの別世界」(つまり他界)の存在を主題としてきた作家であり、その「中心がいくつもある」構造が、私を魅きつけてきた」と言う。そして続けて「これをシナリオ化するにあたって、私は主人公の明という男を二人設定した。一人は少年で、もう一人は青年であるが、二人は同一人物である」と述べる。この設定のおかげで映画「草迷宮」は、過去と現在(もしくは現在と未来?)が入り乱れるような仕上がりになって、観客をぐんぐんと映像のなかに引きずり込んでいく。(ちなみに明の少年役を演じているのが、今もテレビドラマなどで活躍している三上博史だ。子どもの頃からいい男、美少年です。)
この日はほかに「迷宮譚」「消しゴム」一寸法師を記述する試み」などの映画が同時上映され、存分に寺山の映像世界に浸ることができた。寺山映画は映像に映像を重ねることで、たとえば大きな手がぬっと出てきて消しゴムで現在進行中の映像をどんどんと消し去ったり、あるいは一寸法師が女性のヌード映像をハサミで切り取ったり、縄で縛り上げたりと……実に様々な実験的試みを取り入れている。


しかしダントツに面白かったのは、やはり「草迷宮」だ。この映画は、先に触れたように2人の主人公を設定することで、鏡花の母恋の物語が寺山らしく脚色され、「よい母」と「悪い母」といった分裂が生じ、さらにはマニ教的善悪が統一されないまま「私」自身がどんどんと迷宮化していくという仕掛けになっていて、しまいにはこの映画を撮っている寺山自身の迷いさえが映し出されているかのように感じられる。
私は寺山映画につねに自らのレゾンデートルを求め(だから母恋になる!)、映像的実験を重ねていく前衛性を看取したが、しかし同時に彼がどのように壊そうとも壊しきれない強固な社会的制約のようなものも強く意識した。(それが当時の世相なのだろう。)だから寺山の映像には、彼がどんなに破廉恥で破天荒な趣向を凝らしても、いつもどこかに窮屈さが漂っている。けれども私はむしろそこに寺山に対する哀感みたいな感情を抱く。彼もまた生涯、喪失感に苛まれたアーティストだったのだ。


仕事のない連休中に……と欲張って行きたいところを次々とハシゴしたのだが、期せずして「失われた時」を追認するような旅となった。いやぁ〜いつになく充実した贅沢な一日だったな。たまの休みだから許してもらおう。
ただこの日は生憎のお天気で移動が大変だった。(まぁ私は雨男なのでいつもこうなるのだが。)


まど・みちおの絵は『まど・みちお画集 とおいところ』(新潮社)で見ることができる。


まど・みちお画集 とおい ところ

まど・みちお画集 とおい ところ